レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2015/09/03
- 登録日時
- 2015/09/23 00:30
- 更新日時
- 2017/07/12 13:25
- 管理番号
- 6000024122
- 質問
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解決
豊中市内に残っているラジオ放送を受信した「ラヂオ塔」について知りたい。
- 回答
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大曽公園に「ラヂオ塔」跡がある。
『歴史と神戸』(神戸史学会)第51巻第2号平成24年4月1日刊のp.39-41「『ラヂオ塔』が神戸・諏訪山と豊中にも残っていた」(吉井正彦)に、「豊中市の大曾公園にも下半分のみだが残っていることも分かった。」とあり、写真と概要が掲載されている。これによると「塔の下半分のみだが、「大阪中央放送局」「豊中市大曾公園」の掘り込みが明確に残っている。「ラヂオ年鑑」によれば昭和十四年の設置。市役所では存在を認識してはいるものの、データはまったくなく、わけがわからずに触ることができずに残ったということか。ここは爆撃にはかろうじてあわなかった。」とある。
『広報とよなか』(2012年7月号)の「マチカネくんと歩く まちある記 桜塚校区」の大曽公園の紹介の中に「公園の中央にある小高くなった藤棚のそばに「大阪中央放送局」と刻まれた古い石柱があります。ここに放送局があったのではなく、「ラジオ塔」と呼ばれるラジオ電波受信設備があったといわれています。」との記述と写真がある。
『写真集 明治大正昭和 豊中』(国書刊行会)p.117に「207 市民厚生大運動会」と題して戦時下の大曾公園に市民が整列している写真があり、ラジオ塔が上半分のスピーカーも付いている状態で小さく写っている。同じ写真は『豊中市勢概要 昭和18年』にもある。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 放送事業 (699 9版)
- 参考資料
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- 『歴史と神戸』 第51巻第2号 神戸史学会/編集発行 平成24年4月1日発行 (p.39-41)
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鹿島 友治 編 , 鹿島‖友治. 写真集 明治大正昭和 豊中. 国書刊行会, 1980. (ふるさとの想い出 ; 107)
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I046041200-00 (p.117)
- キーワード
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- ラヂオ塔(ラジオ トウ)
- ラジオ電波受信設備(ラジオ デンパ ジュシン セツビ)
- 大曽公園(オオソ コウエン)
- 大阪中央放送局
- 豊中市
- 大曾公園(オオソ コウエン)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
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大塚公園の「第一土地区画整理組合記念碑」が「ラヂオ(ラジオ)塔」側壁の裏面にはめ込まれていたとの記載が以下の資料にある。
『豊中たずねある記』(鹿島友治著 昭和57年刊)p.129-132
『とよなかの史跡巡り』(瀧健三編集・発行 平成20年刊)p.28-31
『豊中の史跡たずね描き』(福西茂著 平成6年刊)p.75
ただし、『とよなかの史跡巡り』p.31に、「大塚公園内のラジオ塔側壁裏面から、現在は撤去されて、同公園内南側の新しい公園表示「大塚公園」の石碑裏面に移されています」とあり、p.30に、「この広場は、今から五十年ほど前、昭和十年ごろに土地区画整理をしたときに、土地の寄付を受けて大塚公園にしたところです。ここで戦争中はラジオ体操をやろうじゃないかということで、指揮台になるものがコンクリート造りでつくられていました。その上に指揮者が立ってね、みんなに体操をやらせたわけです。要するに指揮する台だからわざと高くしてあるんです。だからラジオ体操の「ラジオ」をとってラジオ塔といっていました。」とあり、ここでいうラジオ電波受信設備ではなかったようである。
- 調査種別
- 事実調査 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 一般
- 登録番号
- 1000180440