レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014年08月26日
- 登録日時
- 2014/08/26 18:06
- 更新日時
- 2014/08/26 18:06
- 管理番号
- 牛久-1211
- 質問
-
未解決
現在の群馬県伊勢崎市境で戦国時代にいた“小此木(左衛門二郎)長光”(オコノギサエモンジロウナガミツ)という人が、
牛久に退去したらしいが、その事が分かる資料や、その人のお墓などはないか。金山城の支城だった人。
- 回答
-
以下の資料を紹介。
・『牛久城の領主たち』(山田 吉彦/2005)
・『牛久市史 原子古代中世』(牛久市史編纂委員会/牛久市/2004)
・『龍ヶ崎市史 中世編』(龍ケ崎市史編さん委員会/龍ヶ崎市/1998)
- 回答プロセス
-
①自館検索システム(OPAC)で「小此木長光」をキーワード検索。
→ヒットせず。
②Googleで「小此木長光」をキーワード検索。
→石剱稲荷台明神(いするぎいなりだいみょうじん)のHPがヒット。
「瑳珂比神社の御由緒」のページに“小此木氏が金山城主由良氏に従って常陸牛久へ退去するに当たり…”という記述あり。
(http://www.h4.dion.ne.jp/~fem/pc/pc_00001.html)(最終確認日:2014年8月26日)
ここで、牛久市の由良氏につながる。
③Googleで「金山城」をキーワード検索。
→「太田市金山城略史年表」というサイトがヒットし、ページ内に“由良氏、豊臣秀吉から常陸国牛久に知行5435石を与えられる(金山城廃城)。”
という記述あり。
(http://www.city.ota.gunma.jp/005gyosei/0170-009kyoiku-bunka/topics/ryakunen.html)(最終確認日:2014年8月26日)
④郷土資料コーナーをブラウジング。
→以下の資料を確認。
・『牛久城の領主たち』(山田 吉彦/2005)のp8~
・『牛久市史 原子古代中世』(牛久市史編纂委員会/牛久市/2004)のp435~
・『龍ヶ崎市史 中世編』(龍ケ崎市史編さん委員会/龍ヶ崎市/1998)のp246~
それぞれ由良氏についての記述があったが、小此木氏には結びつかず。
由良氏のお墓は龍ヶ崎市の金龍寺にあることが書かれていた。
⑤人物事典を確認。
→以下の資料をあたったが、小此木氏に関する項目は記載なし。
・『戦国武将合戦事典』(峰岸 純夫/吉川弘文館/2005)
・『日本人名大事典 1』(平凡社/1979)
・『戦国人名辞典』(戦国人名辞典編集委員会/吉川弘文館/2006)
・『国史大辞典 2』(国史大辞典編集委員会/吉川弘文館/1980)
⑥お墓などがないか確認するため、再度郷土資料を確認。
→以下の資料を見るが、記述はなかった。
・『牛久市史料 石造物編』(牛久市史編さん委員会/牛久市/1999)…凡例に墓石・墓誌は含んでいない旨記載あり。
上記過程をお話して、レファレンス終了。
小此木氏が牛久に退去したという記述が図書資料で確認取れなかった。
- 事前調査事項
- NDC
-
- 日本史 (210 8版)
- 参考資料
- キーワード
-
- 小此木(左衛門二郎)長光(オコノギサエモンジロウナガミツ)
- 金山城
- 戦国時代
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 歴史 郷土
- 質問者区分
- 一般男性
- 登録番号
- 1000158909