レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014/07/23
- 登録日時
- 2014/08/08 00:30
- 更新日時
- 2014/08/15 11:00
- 管理番号
- 6000017563
- 質問
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解決
インターネットで調べたところ、豊中市に歳寒堂山房という書店があり、歳寒堂士幹という人物の名前も載っているようだ。「士幹」の号をもつ人物について調べており、歳寒堂士幹についての資料が豊中市立図書館にあるかどうか知りたい。
『日本書画鑑定大事典』に谷口藹山、石作駒吉、藤川冬斎の三名の名がありますがどの人物かわからない。
- 回答
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豊中市上新田(かみしんでん)にあった歳寒堂は、江戸時代後期の儒学者頼山陽が名づけたといわれている。『とよなか歴史・文化財ガイドブック』(豊中市教育委員会)の「歳寒堂跡」の項目には、以下のように記述があり。
<上新田には、『日本外史』を著した江戸時代後期の儒学者、頼山陽(1780~1832)が逗留したと伝わる家があります。詩文の才にも恵まれた山陽は、故郷広島に落ち着くことなく、知的刺激を求めて都に住まいながら巡遊し、日本各地に足跡を残しました。酒にまつわる逸話も数々伝えられ、ここ上新田では、評判の薬酒を製造していた山田家を「歳寒堂」と命名して、春はさつき、秋はもみじを楽しみつつ「不老酒」に酔い、吟詠したといいます。>
他にも、『新修豊中市史 通史1』(豊中市)、『写真で見る上新田』(五一会)、『とよなかの史跡・余話』(瀧健三)、『豊嶋文化 第1号~第5号』(豊中郷土文化研究会)の第3号にも同様の記述があり。しかし、歳寒堂山房という書店や、歳寒堂士幹という方についての記述は、見当たらず。
そこで、「歳寒堂士幹」をインターネットで調べたところ、『歳寒堂士幹』香春健一著(東北山房)という資料が1936年に出版されていることが判明。出版社「東北山房」は延岡市所在。また、『頼山陽より歳寒堂士幹に宛てた書簡類』『歳寒堂士幹遺稿集』という資料があり、いずれも歳寒堂山房という出版社から出版されている(出版地は川崎)。
これら3冊が宮崎県立図書館に所蔵されていること、また先の東北山房が延岡市にあることから宮崎県にゆかりのある人物ではないかと推察し、宮崎県立図書館のサイトの郷土人物データベースhttp://www.lib.pref.miyazaki.jp/hp/menu000000500/hpg000000423.htm で検索すると、「甲斐士幹」という方が該当。
参考資料として紹介されている『宮崎県大百科事典』は当市で所蔵あり。内容を確認したところ、<甲斐士幹(かい・しかん) 1784~1838.10.8(天明4~天保9)北方町曽木に生まれ、本名は重秋(しげあき)、字(あざな)は文(ぶん)貞士(ていし)幹(かん)と号し、家号は歳(さい)寒堂(かんどう)という。(中略)1811年(文化8)文冲の推挙により藩費を得て京都に遊学し、医を小石元瑞に、儒を頼山陽に学ぶ。以来山陽に師事して終生におよんだ。>とあり。
豊中の歳寒堂と宮崎の歳寒堂のいずれもが、頼山陽にゆかりがあるようだが、当市所蔵の資料では『日本書画鑑定大事典』に記載の人物との関連等は不明である旨お伝えした。
- 回答プロセス
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歳寒堂については過去の事例https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000129907 も参照した。
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 『とよなか歴史・文化財ガイドブック』 豊中市教育委員会生涯学習推進室地域教育振興課/編集 豊中市教育委員会生涯学習推進室地域教育振興課
- 『豊嶋文化第1号-第5号』 豊中郷土文化研究会/編 豊中郷土文化研究会
- 『宮崎県大百科事典』 宮崎日日新聞社宮崎県大百科事典刊行委員会/編集 宮崎日日新聞社
- 『写真でみる上新田』 五一会/編集 五一会
- キーワード
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- 歳寒堂(サイカンドウ)
- 頼山陽(ライ サンヨウ)
- 上新田(カミシンデン)
- 歳寒堂士幹(サイカンドウ シカン )
- 歳寒堂山房(サイカンドウ サンボウ)
- 宮崎県(ミヤザキケン)
- 豊中(トヨナカ)
- 歴史(レキシ)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 府外の方からのお問い合わせ。「歳寒堂山房」をGoogleで検索したが、この方がごらんになったと思われるサイトは発見できず。
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 一般
- 登録番号
- 1000157860