レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014年05月22日
- 登録日時
- 2014/05/22 10:52
- 更新日時
- 2014/05/22 10:52
- 管理番号
- 相-140001
- 質問
-
未解決
徳川家の下屋敷はどこにあったか探している。港区の高輪にあったらしい。
徳川吉宗が、天体観測を高輪の下屋敷でおこなったという記述を見た。(書名は不明)
緯度や経度などを確認したいので、場所を知りたい。
- 回答
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『江戸の天文学者 星空を翔ける』中村士 著 技術評論社 2008
「第2章 天文将軍、吉宗の登場、3 吉宗の創案した装置と天文観測、吉宗は当時最高の光学研究者」
P.64~P.65に
「『江府日景』~吉宗自身による天文観測の記録である。~測定値は高輪谷山の
下屋敷だった。」と記載あり。
『古事類苑 第25巻 方技部四』細川潤次郎 ほか編 古事類苑刊行会 1929
「天文道」 P.272 に、[江府日景]の引用として
「於高輪谷山御下屋敷御路地」と記されている。
高輪谷山という地名について調べたところ、
『角川日本地名大辞典 13 東京都』角川日本地名大辞典編纂委員会 編 角川書店 1978
P.719「やつやま 八ツ山<港区>」と立項されていた。
それによると、「〔近代〕谷山やつやまとも書く。」「現在の港区高輪4丁目のうち。」とのこと。
吉宗時代(享保元(1716)年~延享2(1745)年)の高輪谷山周辺での下屋敷の有無を調査、
『古板江戸圖集成 巻七 分道江戸大絵図 乾(享保元年)分道江戸大絵図(享保十年)』
古板江戸図集成刊行会 編 中央公論美術出版 1959
徳川家の下屋敷などはなし。諸大名の下屋敷などがあった。
高輪谷山の道を一本隔てたところに、「御殿山」がある。吉宗の時代には、将軍家の鷹場などで、休憩所などが設置されていたようだ。
ただし、御殿山が高輪谷山にあると述べられているような資料はなかった。
また、『新訂増補 國史大系第四十五巻 徳川實紀第八篇 有徳院御實紀』黒板勝美 著 国史大系編修会 編 吉川弘文館 1926
にも、見つけ出すことは出来なかった。
- 回答プロセス
-
①港区高輪の古地図で、現在の高輪周辺の下屋敷を確認してみるが、諸大名の下屋敷しか確認できず。
②港区史にも徳川家の下屋敷について記述されているものは無し。
③『江戸の天文学者 星空を翔ける』を読み、高輪谷山だと述べているは、
『江府日景』であることを確認する。
④『古事類苑 第25巻 方技部四』で、『江府日景』の該当箇所が引用されているのを確認
⑤『角川日本地名大辞典 13 東京都』で、地名等を確認
⑥再度、古地図を確認するも表記なし、「御殿山」が周辺にあるのを確認するも、
そこで観測が行われていたのか確認できなかった。
- 事前調査事項
- NDC
-
- 日本史 (210 9版)
- 日本 (291 9版)
- 参考資料
- キーワード
-
- 天体観測
- 徳川吉宗
- 高輪谷山
- 御殿山
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 内容種別
- 地名
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000153625