レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013/06/22
- 登録日時
- 2013/10/05 00:30
- 更新日時
- 2013/10/06 12:44
- 管理番号
- 千県東-2013-0002
- 質問
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解決
伊藤博文は、どのようにドイツ語を修得したのか。
ドイツ語の憲法を読んでいるが、自分で語学力を身につけたのか、それとも通訳がいたのかが知りたい。
- 回答
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伊藤博文は、英語は修得しましたが、ドイツ語は駐独公使青木周蔵に通訳を任せていたようです。
『伊藤博文 近代日本を創った男』【資料1】p186に「伊藤はドイツ語ができず、ドイツ学を学んだこともなかった」との記載があります。また親友である井上馨宛の手紙に、ドイツ憲法の取り調べに困難を感じている、と書いています。
『伊藤博文 知の政治家』【資料2】p61にも、「伊藤は英語は堪能だったが、ドイツ語はできなかった」との記載があります。
『伊藤博文伝 中巻』【資料3】p269に「駐獨公使靑木周藏と共に」宰相ビスマルクを訪ねたと記載されています。p270にグナイストに講説を依頼、青木周蔵が講説の通訳をしたと書かれています。
青木周蔵の通訳の様子については、『青木周蔵自伝』【資料4】p234~237「第十五回 伊藤博文のドイツにおける憲法調査」に書かれています。英語に通じたドイツ人教師の選定や、憲法講義の依頼、通訳などを行っていたようです。
また『明治憲法制定史 上』【資料5】p43、45、48、50-51にも伊藤博文と青木周蔵の通訳や邦訳についての記載があります。
伊藤博文の英語の修得については、『伊藤博文伝 上巻』【資料6】p112に、「公等五人は、先づ英語を學習し英文を購讀する爲め、ジャーデイン・マヂソン會社社長ヒュー・マヂソン(Hugh Matheson)の周旋にて公及び野村、遠藤の三人は、常時ユニヴアシテイー・カレツヂの化學教授後ち英吉利協會(English Association)會頭アレキサンダー・ウイリアムソン博士(Dr.Alexander Williamson)の家に(中略)分宿して勉強することになった」との記載があります。
- 回答プロセス
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1.自館OPACで件名「伊藤博文」で検索。【資料1】、【資料2】がヒット。
2.【資料2】p354の註記に【資料3】、【資料5】が記されていたため、こちらも取寄せて閲覧。
3.自館OPACで件名「青木周蔵」で検索。【資料4】がヒット。
- 事前調査事項
- NDC
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- 個人伝記 (289 9版)
- ドイツ語 (840 9版)
- 参考資料
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- 【資料1】『伊藤博文 近代日本を創った男』(伊藤之雄著 講談社 2009)(2102282844)
- 【資料2】『伊藤博文 知の政治家』(瀧井一博著 中央公論新社 2010)(2102332104)
- 【資料3】『伊藤博文伝 中巻』(春畝公追頌会編 原書房 1970)(9101967906)
- 【資料4】『青木周蔵自伝』(青木 周蔵[著] 平凡社 1970)(2100508290)
- 【資料5】『明治憲法制定史 上』(清水伸著 原書房 1971)(9101968135)
- 【資料6】『伊藤博文伝 上巻』(春畝公追頌会編 原書房 1970)(9101967890)
- キーワード
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- 伊藤博文(イトウヒロブミ)
- ドイツ語(ドイツゴ)
- 英語(エイゴ)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000137828