レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2012年11月01日
- 登録日時
- 2013/03/14 11:33
- 更新日時
- 2013/05/22 15:15
- 管理番号
- 埼久-2012-147
- 質問
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解決
間宮林蔵がシーボルトを密告したという説があるが、そのことがわかる資料はあるか。
- 回答
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『新シーボルト研究 2』に比較的詳しい記述があり、伝記資料や辞典類の「間宮林蔵」の項にも簡単な記載がある。
辞典類
『日本大百科全書 22』(小学館 1988)
p109「1828年林蔵の届けにより、シーボルトと幕府天文方高橋景保との交流が明らかになり、これがシーボルト事件の発端になる」
『平凡社大百科事典 14』(平凡社 1985)
p160「1824年御備場掛手付として伊豆七島を調査した。1828年のシーボルト事件の告発者といわれ、晩年には幕府隠密となった。」
『ブリタニカ国際大百科事典 18』(ティビーエス・ブリタニカ 1975)
p726「この頃、江戸でシーボルト事件が起こった。これは文政11(1828)年、林蔵の樺太行きを推薦した高橋景保が国禁を犯して、長崎オランダ商館の医員であったドイツ人学者シーボルトに、伊能の日本図と林蔵や最上徳内の樺太図を、クルーゼンシュテルンの航海記その他と引き替えに与えたことが、林蔵の密訴で暴露した疑獄である。」
『国史大辞典 13』(吉川弘文館 1992)
p199「(前略)同十一年シーボルト事件がおきると、その密告者といわれ人望を失ったが、(後略)」
(同「シーボルト事件」の項)
p635「(前略)シーボルトが日本に滞在すること約五年、その離日帰国の時期が近付いた文政十一年(一八二八)十月以降、日本官憲の疑惑を受けて抑留され、審問の結果、結局国外追放処分を受け、また多数の関係日本人も処罰された事件。(中略) 同十一年三月高橋および普請役間宮林蔵に届けた彼の贈り物が官憲に知られ、幕吏は高橋の身辺をひそかに監視していた。(後略)」
『新編日本史辞典』(東京創元社 1990)
p932「(前略)28年(文政11)のシーボルト事件ではその密告者といわれ、晩年は幕府の隠密として終わる。」
『岩波日本史辞典』(岩波書店 1999)
p239「(前略)28年のシーボルト事件は、林蔵の密告によるともいわれ、隠密としての行動も知られる。
伝記資料
『シーボルトと宇田川榕菴』(高橋輝和著 平凡社 2002)
p82林蔵は、シーボルトによって密告者としてヨーロッパに紹介された、との記述あり。
『連座 シーボルト事件と馬場為八郎』(吉田昭治著 無明舎出版 1984)
p123-129「シーボルトと日本」の項に、間宮林蔵とシーボルト事件の関わりについて記述あり。
『発覚、シーボルト事件』(小西聖一著 理論社 2006)
p91-94シーボルトが送った荷物を間宮林蔵が幕府にとどけ、その荷物を仲立ちした高橋景保の身辺調査が始まったという記述あり。
『文政十一年のスパイ合戦』(秦新二著 文藝春秋 1992)
p243-263第11章「将軍家の御庭番」に、林蔵のシーボルト事件との関係について記述あり。
『間宮林蔵』(洞富雄著 吉川弘文館 1986)
p248以下の記載があり、事件発覚の端緒・経過についても触れられている。「シーボルト事件が発覚したのは林蔵の密訴によるものであると、当時から噂され、当のシーボルトも、林蔵のことを「日本政府が我に対する取調べを誘致したる人」と言っている。が、林蔵の行為を密訴とまでいっては少し酷かもしれない。(後略)」
p252「台風が九州を襲わなかったならば、あるいはシーボルト事件は不発におわったかもしれない。が、林蔵の動きが事件発覚の端緒となったことは事実である。林蔵は事件そのものの告発者ではなかったかもしれないが、景保の手を通じて受けとったシーボルトの書翰を奉行所に届け出れば、当然、当局の嫌疑が景保にかかるであろうことを意識していたと見てよい。したがって、事件発展の結果から見れば、密告者と考えられても已むを得ないわけである。」
『間宮林蔵』(赤羽榮一著 清水書院 1974)
p164-190シーボルト事件と林蔵との関わりについての記述あり。
『間宮林蔵〈隠密説〉の虚実』(小谷野敦著 教育出版 1998)
p118-124〈第十章 発覚-シーボルト事件〉の項に、事件の発端、経過について書かれている。
『シーボルト事件と富山』(水間直二著 桂書房 1990)
p93-138シーボルト事件に関し、林蔵との関係について触れている。
『新シーボルト研究 2』(石山禎一著 八坂書房 2003)
p73-100〈シーボルト事件〉の項で、商館長メイランの日記を中心に歴史的事実を再検討している。事件の真相について、日本側における高橋と間宮との学術的なトラブルとオランダ商館内部の確執、それに暴風雨で蘭船が座礁したことでシーボルトの帰帆が遅れていたことが複雑に絡み合って事件の発覚に至ったと考察している。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (210 9版)
- 個人伝記 (289 9版)
- 参考資料
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- 『新シーボルト研究 2』(石山禎一著 八坂書房 2003) , ISBN 4-89694-730-4
- 『シーボルトと宇田川榕菴』(高橋輝和著 平凡社 2002) , ISBN 4-582-85129-0
- 『連座 シーボルト事件と馬場為八郎』(吉田昭治著 無明舎出版 1984)
- 『発覚、シーボルト事件』(小西聖一著 理論社 2006) , ISBN 4-652-01635-2
- 『文政十一年のスパイ合戦』(秦新二著 文藝春秋 1992) , ISBN 4-16-346270-8
- 『間宮林蔵』(洞富雄著 吉川弘文館 1986) , ISBN 4-642-05061-2
- 『間宮林蔵』(赤羽榮一著 清水書院 1974)
- 『間宮林蔵〈隠密説〉の虚実』(小谷野敦著 教育出版 1998) , ISBN 4-316-35700-X
- 『シーボルト事件と富山』(水間直二著 桂書房 1990)
- キーワード
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- シーボルト事件
- Siebold, Philipp Franz von(シーボルト フィリップ フランツ フォン)
- 間宮 林蔵(マミヤ リンゾウ)
- 江戸時代-歴史
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000128847