レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2012年04月14日
- 登録日時
- 2013/02/05 17:21
- 更新日時
- 2013/02/05 17:21
- 管理番号
- N0100003
- 質問
-
解決
素麺の歴史について、民俗的な由来を知りたい。冷麦でも可。
- 回答
-
『日本めん食文化の一三〇〇年』によると、素麺は、平安中期1100年終わり頃から1200年初めにかけて伝わったと考えられる。また、七夕にそうめんを祝う歴史は鎌倉時代、そうめんの前のさくべいを加えると奈良時代までさかのぼる。夏の畑作物の感謝祭と中元の盂蘭盆会の予祝の意味があった。
また、『コムギの食文化を知る事典』に、江戸中期ころから七夕にそうめんを贈答する習慣がうまれたとの記述がある。
- 回答プロセス
-
食品の事典を何点が調べてみる。『全国名産大事典』p507伊勢そうめん(三重県)、p606三輪そうめん(奈良県)の説明あり。
『日本料理由来事典』にそうめんの記述あり。ただし民俗的な由来についてはなし。
『たべもの日本史』に索麺とあるが、簡単な説明のみ。
NDC383.8辺りを探してみる。
『日本めん食文化の1300年』に、「第5章 日本におけるそうめんの発祥と製法」とあった。P221、11行目には「今見てきたように、七夕にそうめんを食べるのは単に技芸の上達を祈願するだけでなく、その裏には農民の生命を長らえてくれる。大小ムギを中心にした夏の畑作物の感謝祭と中元の盂蘭盆の予祝の意があったのである。」と書かれていた。
『コムギの食文化を知る事典』では、p142から「そうめんのおいたち」あり。p147図39「女節用集文字曩」(1762)に七夕祭りにそうめんを供える絵がある。女性が縫い物上手になる願いをそうめんに託している。江戸中期ころから、七夕にそうめんを贈答する習慣が生まれる。縁起物のそうめんは2~3メートルもあり、食べる時にずいぶん苦労したらしい。
『めんと和菓子の夜明け』では、p155に「「後水尾院当時年中行事」索餅と素麺が共存」という項があり、七夕に索餅と素麺が共存していたことが分かる。
- 事前調査事項
- NDC
-
- 衣食住の習俗 (383)
- 産業史.事情.物産誌 (602)
- 食品.料理 (596)
- 参考資料
-
- 『全国名産大事典』 日本図書センター, 2010 (121448732)
- 『日本料理由来事典』 中 同朋舎出版, 1990 (120734868)
- 『たべもの日本史総覧』 西山 松之助/ほか著 新人物往来社, 1994 (120672241)
- 『日本めん食文化の一三〇〇年』 奥村 彪生/著 農山漁村文化協会, 2009 (121198931)
- 『コムギの食文化を知る事典』 岡田 哲/編 東京堂出版, 2001 (121387443)
- 『めんと和菓子の夜明け』 松本 忠久/著 丸善プラネット, 2011 (121223747)
- キーワード
-
- 素麺
- 冷麦
- 由来
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 言葉
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000127833