レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2012年02月18日
- 登録日時
- 2012/12/18 11:27
- 更新日時
- 2013/05/16 09:52
- 管理番号
- 埼久-2012-133
- 質問
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解決
小池利兵衛について、1 雑誌「ハイキング」の創業者か。2 生没年はいつか。
- 回答
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1 創業者である。
雑誌『新ハイキング 325号』(新ハイキング社 1977年11月)「ハイキング小史 第2回」
p93「昭和7年4月に創刊号を出した、雑誌「ハイキング」で、創刊号のタイトルは純旅行雑誌となっている。これを創刊したのは、小池利兵衛であるが、」
p95「小池利兵衛は「ハイキング」の発行に踏み切ったのであるが、-当時47歳の小池利兵衛には-」とあり、昭和7年(1932)には47歳と考えられる。
雑誌『新ハイキング 別冊3号』(新ハイキング社 1990年7月)「ハイキング小史 第3回」
p33「小池利兵衛は「ハイキング」の創刊号に純旅行雑誌というタイトルをつけて発足したが」と記述されている。
p35「昭和14年8月24日に小池利兵衛は病気で亡くなった。小池利兵衛がなくなったので、「ハイキング」は、品川で製菓実験社を経営する金子倉吉が社長に、編集は小池利兵衛の下で働いていた向後博が行うことになり、南品川の新事務所へ引継がれた。
2 生年についてははっきりと記載のある資料はなかったが、以下の情報を提供した。
『新ハイキング 325号』に「昭和7年(1932)には47歳である」との情報により、1885年(明治18)生まれか。
『新ハイキング 別冊3号』に「昭和14年8月24日に病気で亡くなった」とあり。
回答後に以下の情報を確認した。
《新ハイキング社》(http://www.shinhai.net/corporate.html 新ハイキング社 2013.4.2 最終確認)の沿革に「小池利兵衛氏のこと 2012.3 鮫島員義」あり。「明治18(1885)年茨城県水海道生まれ、昭和14年(1939年)8月24日に54歳で亡くなって」と記載されている。
- 回答プロセス
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《WHOPLUS》は〈小池利兵衛〉ヒットせず。
《MAGAZINEPLUS》は〈ハイキング〉〈新ハイキング〉とも収録誌ではない。
〈ハイキング〉ということばについて
『日本大百科全書 18』(小学館 1987)p509〈ハイキング〉の項 「hiking 一般に徒歩旅行と訳される。イギリスでは一八世紀ごろからウォーキングwalking(徒歩旅行)と同義に用いられたが、(略)日本では一九三〇年(昭和五)ごろから軽登山の意味で多く用いられた。(略)」
【調査済み資料】
『最新スポーツ大辞典』(大修館 1987)p963ー964 ハイキングについての説明はあり、小池利兵衛はなし。「ハイキングという言葉が使われるようになったのは、1927年ごろからという記述あり」
『スポーツ人名事典 新訂第3版』(日外アソシエーツ 2002)1995年以降に活躍したスポーツ関係者を収録。小池利兵衛はなし。
『ニュースポーツ事典 改訂』北(川勇人編 遊技社 2000)ハイキングなし。
『体育史資料年表』(今村嘉雄編 不昧堂 1963)年表では、1920年代・30年代「ハイキング」については、なし。
『新選ハイキング』(朋文堂編 朋文堂 1954)東京を中心としたハイキングの案内書。執筆者の中に小池利兵衛はなし。
- 事前調査事項
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鴻巣市内に石碑がある。
- NDC
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- 個人伝記 (289 9版)
- 日本語 (051 9版)
- 貴重書.郷土資料.その他の特別コレクション (090 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- 小池 利兵衛(コイケ リヘイ)
- 雑誌-日本
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000115933