レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2012年01月13日
- 登録日時
- 2012/05/17 15:28
- 更新日時
- 2012/07/25 16:39
- 管理番号
- 埼熊-2012-023
- 質問
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解決
唐とアッバース朝との間で行われた「タラス河畔の戦い」について載っている参考資料を見たい。
- 回答
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以下の資料を紹介した。
『民族・戦争』(前嶋信次著 誠文堂新光社 1982) p41-112「タラス戦考」あり。
『東西文明の交流 2 ペルシアと唐』(平凡社 1980)p212-213「天宝10年(751)、高仙芝はアラブ軍が安西四鎮を攻撃しようとしていることを聞き、(略)怛羅斬(タラス)城にはいり、ここでアラブ軍と対峙したのである(略)」この間の事情が記載されているものとして『新唐書』「高仙芝伝」の記述があがっている。
『イスラム・ネットワーク アッバース朝がつなげた世界』(宮崎正勝著 講談社 1994)p152-155「タラス河畔の戦いと唐勢力の後退」「捕虜、杜環が伝えるアッバース朝」に記述あり。
『イスラーム全史』(余部福三著 勁草書房 1991)p80「さらに、かれのサマルカンドとブハーラーの代官ズィーヤード・イブンン・サーリフは、フェルガーナ王の要請で玄宗皇帝が派遣した唐軍を751年タラス川の戦いで敗り、この支配を揺るぎないものにした。このときの中国人捕虜が製紙法をイスラームに伝えたことは、文化史上、有名である。」
『新編東洋史辞典』(京大東洋史辞典編纂会編 東京創元社 1980) p539に〈タラスがわのかいせん Talas川の会戦〉の項あり。16行の解説。参考文献として「旧唐書」104高仙芝伝、「新唐書」135高仙芝伝、前嶋信次「タラス戦考」(東西文化交流の諸相)(前出)あり。
唐側の将軍高仙芝についての資料
『シルクロード往来人物辞典』(東大寺教学部編 同朋舎出版 1989) p124に〈高仙芝〉の項あり。タラス河畔の戦いについての記述あり。出典は「旧唐書」104、200上 「新唐書」135、225上 とあり。
『西域探検紀行全集 別巻 中央アジア探検史』(白水社 1971)p103-111〈高仙芝〉の章あり。高仙芝の遠征についての記述。タラス河畔の戦いについては、p110-111に記されている。
桑原 武夫「高仙芝〔唐の将軍〕について 」(『潮 No.251』潮出版社 1980.4)p201-211
p209-210「大遠征の成功とタラスの戦の惨敗」の項あるが、タラスの戦については、前嶋氏の本を読むようにとして、詳細は省略されている。〈高仙芝〉については、オーレル・シュタインの論文を基に、「旧唐書」の記述なども引用しながら詳しく論じている。
タラスの所在地(現在のキルギス:中央アジア)の歴史:NDC分類〈229.6〉
『地域からの世界史 6 内陸アジア』(朝日新聞社 1992)p44-45
『中央ユーラシア史』(小松久男編 山川出版社 2000)p149
製紙法が伝わったということから
『本の五千年史』(庄司浅水著 東京書籍 1989)p58 タラス河畔の戦いについては、4行ほどの記述あり。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- アジア史.東洋史 (220 9版)
- アラブ諸国 (228 9版)
- 世界史.文化史 (209 9版)
- 参考資料
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- 『民族・戦争』(前嶋信次著 誠文堂新光社 1982)
- 『東西文明の交流 2 ペルシアと唐』(平凡社 1980)
- 『イスラム・ネットワーク アッバース朝がつなげた世界』(宮崎正勝著 講談社 1994)
- 『イスラーム全史』(余部福三著 勁草書房 1991)
- 『新編東洋史辞典』(京大東洋史辞典編纂会編 東京創元社 1980)
- 『シルクロード往来人物辞典』(東大寺教学部編 同朋舎出版 1989)
- 『西域探検紀行全集 別巻 中央アジア探検史』(白水社 1971)
- 『地域からの世界史 6 内陸アジア』(朝日新聞社 1992)
- 『中央ユーラシア史』(小松久男編 山川出版社 2000)
- 『本の五千年史』(庄司浅水著 東京書籍 1989)
- 『潮 No.251』(潮出版社 1980.4)
- キーワード
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- イスラム帝国
- アッバース朝
- 中央アジア-歴史
- 中国-歴史-唐時代
- 高仙芝(コウ シセン)
- タラス河畔の戦い
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000106171