レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2012年03月07日
- 登録日時
- 2012/03/07 11:08
- 更新日時
- 2012/03/08 14:08
- 管理番号
- 中央230011
- 質問
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解決
大正天皇が皇太子時代の明治40年に、山陰行啓があったが、米子から御来屋(現大山町)に向かわれ、山陰海岸を散策されたり、名和神社を参拝、休息されたりした事実が記してある図書はないか。
- 回答
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『名和町誌』(名和町誌編さん委員会編/ぎょうせい/1978)の640ページから648ページに行啓録抜粋の記載あり。
なお、行啓録の出典は『山陰道行啓録:紀念』(角金次郎編/稲吉金太郎/1907)。なお、『名和町誌』には『山陰行啓録』(角金次郎編/1907)とあるが、誤記ではないかと思われる。この行啓録は、国立国会図書館に所蔵があり、近代デジタルライブラリーに収められている。また、鳥取県立図書館、島根県立図書館にも所蔵あり。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 系譜.家史.皇室 (288 8版)
- 日本 (291 8版)
- 参考資料
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- 『名和町誌』(名和町誌編さん委員会編/ぎょうせい/1978)【291.7/ナワチ】
- 『ふるさとの思い出写真集明治大正昭和米子』(松尾陽吉/国書刊行会/1981)【217.2/シャシ】 (72ページ)
- 『鳥取県史近代第二巻政治篇』(鳥取県編/鳥取県/1969)【217.2/トット/2】 (279ページから278ページ)
- 『目で見る米子・境港の100年』(杉本良巳監/郷土出版社/2000)【217.2/メデミ】 (29ページ)
- キーワード
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- 大正天皇
- 行啓
- 御来屋
- 皇太子
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000103106