レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2012年02月11日
- 登録日時
- 2012/02/11 17:10
- 更新日時
- 2014/04/06 11:48
- 管理番号
- 茨歴閲2011062
- 質問
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「日新塾」はいつまで続いていたのか知りたい。
- 回答
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日新塾が明確にいつまで続いたかが書かれている資料は発見できませんでしたが,『水戸市史 中巻(3)』(p1170)によると,塾の責任者である加倉井砂山が亡くなった後「日新塾の動静については分明でない」との記述があります。
- 回答プロセス
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(1)「日新塾」または「加倉井砂山」について書かれている資料を書庫から探して調べる
『水戸藩学問・教育史の研究』→手がかりなし
『茨城の史跡は語る』→手がかりなし
『全国の伝承 江戸時代人づくり風土記8』→手がかりなし
『常陽藝文 2007年5月号』
→明治10(1877)年の火災で建物の大半が焼失したことが書かれている。
『加倉井砂山物語』→手がかりなし
『水戸市史 中巻(3)』→「分明でない」との記述あり
- 事前調査事項
- NDC
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- 関東地方 (213 8版)
- 参考資料
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- 『水戸市史 中巻(3)』 水戸市史編さん委員会編 水戸市役所 1976 〈当館請求記号 K211/1/2-3〉
- キーワード
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- 日新塾
- 加倉井砂山
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000101384