レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 登録日時
- 2012/01/26 11:11
- 更新日時
- 2012/02/28 18:24
- 管理番号
- 千葉市中央018
- 質問
-
解決
千葉市美浜区の埋立地はどのような方法でできたか。その過程がわかる写真もあわせて見たい。
- 回答
-
「絵にみる図でよむ千葉市図誌 上巻」 (千葉市)から、「美浜区は千葉港以北の東京湾沿岸に、埋め立てによって誕生した地区」とわかる。造成の経緯は、「美浜区を三つの地域に分けることができ」、「第一は稲毛海岸であり、1961(昭和36)年から1964年にかけて造成された。第二は、新港と幸町であり、1964年から1968年にかけて、中央区の一部と共に千葉港中央地区として造成された。第三は区の大半を占める残りの地域で、海浜ニュータウンとして、1966(昭和41)年から1980年に逐次造成されていった。」とある。
埋立の方法については、「稲毛海浜ニュータウンのあゆみ」(千葉市臨海開発部)に、「埋立本工事としては、浚渫(しゅんせつ)埋立、整地、飛砂防止等」が行われたとあり、これらの概要が記載されている。造成工事は、「工区内を木柵により区切り、浚渫船から海上のフローターパイプ、海底管を通じて送られた土砂を排砂管によって導き、初めは木柵より先行させ、漸次中央部へと移行していく手順ですすめた。」とある。なお、「浚渫」とは、「広辞苑 第6版」(岩波書店)によれば、「水底の土砂や岩石をさらうこと」
埋立の過程がわかる写真として、「絵にみる図でよむ千葉市図誌 上巻」(千葉市史編纂委員会)P589~630に、美浜区各地域を空からうつした写真、地図が掲載されている。また、「写真集 千葉市のあゆみ(市勢要覧) 2001」P74~77 特集「臨海部の埋立」に、埋立前と埋立後の地図や写真が掲載されている。
- 回答プロセス
-
千葉市のあゆみ、美浜区のあゆみがわかる資料を中心に調査した。
以下、回答欄以外に確認できた事項として、
・「稲毛海浜ニュータウンのあゆみ」(千葉市臨海開発部) 口絵に、建設の様子として、①しゅんせつ船、②フローティングパイプ、③セルラーブロック据付、④埋立、⑤造成、⑥飛砂防止の写真が掲載されている。
・「千葉の算数ものがたり」(千葉県教育研究会数学教育部会) P18~23 2.海をうめたてた新しい土地 児童向けの資料ではあるが、市原市を中心とした東京湾の埋立地について解説。浚渫船を使用した埋立のしかたが、イラスト入りで解説されている。同書には、「海をほるには、しゅんせつ船という船で、海の水とすなをかきまぜるようにしてすいあげ、ふといパイプで、うめたてするところへ送ると、水はながれてすなだけがどんどんつもって高くなり、土地ができる」と説明されている。
・「千葉市制施行70周年 1991」(千葉市総務局市長公室) P69 222幕張海岸の埋立て、223出州海岸の埋立ての写真あり。
・「メッセの町は海だった」(安藤 操) 埋立前の幕張町周辺の様子や埋め立て風景の写真が掲載されている。
・「市民フォト千葉 No.47」(千葉市広報課) P2~7 特集 稲毛海浜ニュータウン 「埋立の背景」、工事の様子の写真等掲載がある。
- 事前調査事項
- NDC
-
- 関東地方 (213 9版)
- 河海工学.河川工学 (517 9版)
- 参考資料
-
- 「稲毛海浜ニュータウンのあゆみ」 (千葉市臨海開発部/編 千葉市)
- 「絵にみる図でよむ千葉市図誌 上巻」 (千葉市史編纂委員会/編 千葉市)
- 「写真集 千葉市のあゆみ(市勢要覧) 2001」(千葉市総務局市長公室広報課/編 千葉市総務局市長公室広報課)
- 「千葉の算数ものがたり」 (千葉県教育研究会数学教育部会/編 日本標準)
- 「千葉市制施行70周年 1991」 (千葉市総務局市長公室 千葉市広報課)
- 「メッセの町は海だった」(安藤 操/編 千秋社)
- 「市民フォト千葉 No.47」(千葉市広報課)
- キーワード
-
- 千葉市美浜区
- 臨海部
- 埋め立て
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000100600