レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2011年07月31日
- 登録日時
- 2011/10/23 11:51
- 更新日時
- 2011/10/23 11:51
- 管理番号
- 9000007544
- 質問
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解決
大石内蔵助の辞世の句を知りたい。
- 回答
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一般に大石内蔵助の辞世の歌は「あら楽し(一説には「あら楽や」)思ひは晴るる身は捨つる浮世の月にかかる雲なし」であるとされている。この和歌は、切腹に際してではなく、討入り後に泉岳寺で詠んだものである。『古文書で読み解く忠臣蔵』(吉田豊著 柏書房 2001年)によると、「あら楽し…」は内蔵助の自作であるか疑わしく、内蔵助は、はっきりとした自作の辞世を遺していない。
- 回答プロセス
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1.自館システムで書名「辞世」を検索し確認すると、次のものに関連の記述があった。
・『辞世の言葉で知る日本史人物事典』(西沢正史編 東京堂出版 2009年)→p179-181「あら楽し思ひは晴るる身は捨つる浮世の月にかかる雲なし」(出典『江赤見聞記(こうせきけんもんき)』)
・『辞世のことば:生きかたの結晶』(講談社 1992年)→p105「あらたのし思いは晴るる身は捨つる浮世の月にかかる雲なし」
・『辞世の風景(歌のこころシリーズ)』(吉岡生夫著 和泉書院 2003年)→p84-85「あら楽や思は晴るゝ身は捨つる浮世の月にかゝる雲なし」(出典『介石記(かいせきき)』)。
2.次の大石内蔵助の伝記には、辞世についての記述はなかった。
・『大石内蔵助:赤穂四十七士(講談社火の鳥伝記文庫)』(西本鶏介著 講談社 1998年)
・『大石内蔵助(フォア文庫)』(浜野卓也作 岩崎書店 1998年)
3.自館システムで件名「赤穂義士」を検索し確認すると、次のものに関連の記述があった。
・『忠臣蔵:闇の真相(ローカスなるほどシリーズ 地理と歴史)』(岡本和明著 ローカス 2000年)→p237「四十七士人物ファイル」の「大石内蔵助良雄」の項に辞世「あら楽し思ひははるる身は捨つる浮世の月にかかる雲なし」とある。
・『忠臣蔵銘々伝(物語と史蹟をたずねて)』(成美堂出版 1981年)→p95-101に「大石内蔵助良雄」の項があり、「…上野介の首を携えて泉岳寺に引き上げた内蔵助は、内匠頭の墓前に報告をすませたのち、あら楽し思は霽(は)るる身は捨つる浮世の月に翳る雲なしの一首を詠んだ。」とある。
・『古文書で読み解く忠臣蔵』(吉田豊著 柏書房 2001年)→p277のコラム「辞世(一)」によると、「…大石内蔵助の辞世として「あら楽しおもいははるる身は捨つる浮世の月にかかる雲なし」が伝わっているが、自作であるか疑わしい。」「内蔵助ははっきりとした自作の辞世を遺していないが、切腹を目前に控えた二月二日付、細井広沢宛て書状に…(中略)… 覚悟したほどにはぬれぬ時雨かな の一句を詠んでいる」とある。
・『元禄快挙録(岩波文庫)』下巻(福本日南著 岩波書店 1982年)→p114-117「泉岳寺の一日」の項に「…内蔵助は筆を把って、一首の述懐を書きつける。あら楽し思ひは霽るる身は捨つる、浮世の月にかかる雲なし」。また、項の末尾に「附言」があり、『義人録』によって「あら楽や」と詠ませているが、「今は詠者の原意によって「あら楽し」に改めておく」との記述がある。
4.その他
・「元禄忠臣蔵:実録・赤穂事件の全貌」(「別冊歴史読本」通巻88号(1998年10月 新人物往来社)→p154「赤穂浪士人物事典」の「大石内蔵助良雄(よしたか)」の項に「切腹した心境は、あら楽し思ひははるる身は捨つる浮世の月にかかる雲なしのごとくであった」とある。
- 事前調査事項
- NDC
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- 個人伝記 (289 9版)
- 詩歌 (911 9版)
- 参考資料
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- 『辞世の風景(歌のこころシリーズ)』(吉岡生夫著 和泉書院 2003年) (p84-85)
- 『辞世のことば:生きかたの結晶』(講談社 1992年) (p105)
- 『辞世の言葉で知る日本史人物事典』(西沢正史編 東京堂出版 2009年) (p179-181)
- 『忠臣蔵銘々伝(物語と史蹟をたずねて)』(成美堂出版 1981年) (p95-101)
- 『古文書で読み解く忠臣蔵』(吉田豊著 柏書房 2001年) (p277)
- 『元禄快挙録(岩波文庫)』下巻(福本日南著 岩波書店 1982年) (p114-117)
- キーワード
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- 大石内蔵助
- 大石良雄
- 忠臣蔵
- 赤穂浪士
- 辞世
- あら楽し
- あら楽や
- 和歌
- 照会先
- 寄与者
- 備考
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※「あら楽し」か「あら楽や」かについて記述のあったのもの
・『辞世の風景(歌のこころシリーズ)』(吉岡生夫著 和泉書院 2003年)→p84-85によると、『江赤見聞記』掲載は「あら楽や思ははるゝ身は捨る浮世の月に掛る雲なし」、『義人遺草(ぎじんいそう)』掲載は「あら楽や思は晴るゝ身は捨つるうきよの月にかゝる雲なし」であり「あら楽や」であり「あら楽し」ではない。また『義人録』は漢文ではあるが「嗚呼(二音阿羅)楽哉(音耶)」となっている。
・『元禄快挙録(岩波文庫)』下巻(福本日南著 岩波書店 1982年)→p117「附言。鳩巣翁(きゅうそうおう)往々国風を解せず。良雄の歌を「あら楽や…」と『義人録』に詠ませたのが俑(よう)となり、爾後の諸書概ねこれを套襲した。ために璧上に一瑕を加えた。今は詠者の原意によって「あら楽し…」に改めておく。」
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 伝記・人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000093612