レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2011年06月14日
- 登録日時
- 2011/07/12 14:48
- 更新日時
- 2011/08/02 14:23
- 管理番号
- 福井県図-20110614
- 質問
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解決
先日福井城を訪問したとき、本丸の説明版に「福井城は(中略)一説には家康みずからの縄張りとも伝えられている」とあった。これはどのような史料に記述があるのか。
- 回答
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天正2年から明和7に至る福井藩の正史である『国事叢記』(翻刻版『国事叢記』上 福井県立図書館/共編、福井県郷土誌懇談会 1961.3 p25)の、慶長六年九月に「御本丸・二之丸者 家康公御縄張。惣御郭者、吉田修理亮源好寛。」と記述されており、これが出典と考えられる。
- 回答プロセス
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1.H521福井城関係の資料、H221福井市史、H200福井県史などをブラウジング
『福井の城』(吉田純一/著 フェニックス出版 1994.2 H521/Y2/2)のp26に「秀康は翌六年九月、勝家の北庄城を改修・整備しながら新たに築城の工を起こした。清水丹後守好正を総奉行(一説には吉田修理とも)とし、本丸と二の丸は徳川家康自らが縄張を担当したとも伝わっている。」と記述あり。出典は明記されておらず。
『金沢城 福井城』(学習研究社 2004.11 H521/K5/1)のp33に「城の縄張りは、徳川家康が自ら行ったと伝えられている。」と記述あり。出典は明記されておらず。
『福井の城あれこれ話』(吉田純一/著 1997.2 H521/Y2/8)のP1には「縄張りは家康自らが担当したとも伝わっている。真偽の程はともかくいかにも御家門の居城にふさわしい言い伝えといえよう。」と記述あり。出典は明記されておらず。
『福井城・金沢城』 (吉田純一/編、至文堂、1997.9 H521/Y2/10)p183に「本丸と二の丸は家康自らが縄張を担当したとも伝わる。」とあり、『国事叢記』が出典としてあげられている。
『福井市史 』通史編 2( 福井市/編 福井市 2008.6 H221/H17/1-2)のp448に「『国事叢記』によると、総奉行は清水丹後守孝正で、本丸と二の丸は家康自らが縄張を担当したとも伝わっている。」と記述されている。出典は『国事叢記』
- 事前調査事項
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「日本城郭大系」の福井城の項目にも同様の記載がありますが、残念ながら出典がありません。インターネットのウィキペディアも同様ですが、出典がありませんでした。
- NDC
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- 日本の建築 (521 8版)
- 北陸地方 (214 8版)
- 参考資料
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- 『国事叢記』 上 福井県立図書館/共編、福井県郷土誌懇談会 1961.3 H215/H3/2-1
- キーワード
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- 福井城
- 徳川家康
- 縄張り
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000088416