レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2010/12/26
- 登録日時
- 2011/03/22 02:14
- 更新日時
- 2011/06/06 11:21
- 管理番号
- 埼熊-2010-110
- 質問
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解決
山本順庵についてわかる資料を探している。
・「小栗日記」の文久2年・文久3年にこの名が登場するとのこと。
・江戸時代の漢方医であるらしい。
- 回答
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『近世人名辞典 名号引き 1』の〈頤庵〉の項に、「遠州掛川候侍医」とあること、
『維新史料綱要 3 安政5年7月-文久元年12月』のp188に「征夷大将軍徳川家茂、
仙台藩医大森岱順・鹿児島藩医田宮安実・掛川藩医山本順庵ニ謁ヲ賜フ。(安政年録)」
とあることにより、掛川藩に関係する医師であることが確認できる。
このほか『近世人名辞典 名号引き1』に「松崎慊堂「日歴」に頻出」とあるが、この資料(当館所蔵『慊堂日暦 1-6』)は索引がないため、すべての記述を確認することはできなかった。
これら関連の記述のあったのは以下のとおり。
『近世人名辞典 名号引き 1 ア-サ』(漆山又四郎編 青裳堂書店 1984)
p21〈頤庵〉(イアン)の項、「医 山本氏。遠州掛川侯侍医、松崎慊堂「日歴」に頻出」とあり。
『慊堂日暦 1-6』(松崎慊堂著 山田琢訳注 平凡社 1970-1983)
解説に、「享和二年、慊堂が 三十二歳の時に、掛川藩(静岡県)の招きによってその藩校の教授になった。」とあり。
1巻のp13「篠崎弥四郎、山本頤庵の養子。」とあり。
※索引がないため、内容をすべて確認することできず。
※〈篠崎弥四郎〉については未調査。
『松崎慊堂 その生涯と彼をめぐる人びと』(鈴木瑞枝著 研文出版 2002)
巻末「主要人物索引」に〈山本頤庵〉の名あり。
p249「初め掛川藩医山本頤庵や高井元益ら漢方医から薬をもらっていたが」
p288「やや良くなってから慊堂は、二月の『日歴』中に、正月晦、山本頤庵来診」
p303「朝同邸内の医師山本頤庵の所で飯を食べていた時に」とあり。
『維新史料綱要 3 安政5年7月-文久元年12月』(東京大学出版会 1983)
p188「征夷大将軍徳川家茂、仙台藩医大森岱順・鹿児島藩医田宮安実・掛川藩医山本順庵ニ謁ヲ賜フ。」とあり。
『小栗上野介忠順』(矢島ひろ明著 群馬出版センター 1992)
「小栗上野介をめぐる人々」(「上役・同輩・下役・知人など」)p274に「山本頤庵(順庵)」とのみ記載されている。
山本頤庵=山本順庵 であることがわかる。小栗上野介に関わった人物ではあるが、どのあたりの人かは不明。
※時系列になっている部分の文久2年、3年をみるが、山本順庵についての記述は見つけられず。
- 回答プロセス
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『日本人物情報大系 51(学芸編11) 江戸近世医家人名録』(芳賀登(ほか)編 皓星社 2000)
『日本人物情報大系 52(学芸編12) 本朝医人伝』(芳賀登(ほか)編 皓星社 2000)
『日本人物情報大系 54(学芸編14) 医家人名辞書』(芳賀登(ほか)編 皓星社 2000)
『日本儒林叢書 14』(関儀一郎編 鳳出版、1978)に収録されている「先游伝」
NDC分類〈49〉の参考図書・一般図書を確認するが該当なし。
近世の人名辞典を確認し、回答の情報を得る。
蔵書目録(ア)の巻末人名索引に「山本高明(頤菴,子柔)」という項目があり、5点の書籍(イ)~(カ)が掲載されていた(ただし順庵なし)。
(ア)『杏雨書屋蔵書目録』武田科学振興財団(臨川書店発売)1982
(イ)(ウ)p431左『傷寒論擇精録二巻』 乾3390
江戸 山本高明(頤菴)著 安政3(1856)自序稿本「爲可堂蔵書記」印アリ 一帙2冊
他杏5472(このページにもう1点の自筆稿本の掲載あり:杏5472)
(エ)p693右『日本國見在書目録一巻』 杏1497
平安 藤原佐世奉勅撰 山本高明寫本 室生寺寫本ニヨル 「爲可堂蔵書記」印アリ 一帙1冊
(オ)(カ)p866右『薬性提要一巻』 杏624
江戸 多紀元簡原本 門人山本高明訂補 天保8(1837) 東都 山本氏爲可堂刊本 一帙1冊(このページにもう1点の刊本の掲載あり:杏1479)
《東京大学史料編纂所データベース》を検索する。
〈頤庵〉で横断検索するが、ヒットせず。
〈順庵〉で横断検索すると、下記(キ)がヒットする。
(キ)『維新史料綱要 3 安政5年7月-文久元年12月』(東京大学出版会 1983)
p188「征夷大将軍徳川家茂、仙台藩医大森岱順・鹿児島藩医田宮安実・掛川藩医山本順庵ニ謁ヲ賜フ。」とあり。
〈山本高明〉〈頤菴〉で横断検索するが、ヒットせず。
小栗上野介関連の資料を確認し、回答の情報を得る。
《Google》を検索する。
〈山本順庵〉では、ヒットせず。
〈山本頤庵〉で完全一致検索すると、個人ブログ2件ヒットし、掛川藩医であることがわかる。
武鑑を調査する。
掛川藩医であったことから次の資料を調査したが該当の記述は見つからず。
『三百藩家臣人名事典 第4巻 新潟県 静岡県 愛知県 三重県(1) 滋賀県 奈良県』(家臣人名事典編纂委員会編 新人物往来社 1988)
『掛川誌 甲~戍篇』(静岡 1928-1929)
『静岡県歴史人物事典』(静岡新聞社出版局編集 静岡新聞社 1991)
『角川日本姓氏歴史人物大辞典 22 静岡県姓氏家系大辞典』(竹内理三〔ほか〕編纂 角川書店 1995)
- 事前調査事項
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「群馬県史料集 7 小栗日記』(群馬県文化事業振興会 1972)
文久の日記は収録されていない。
家計簿に「山本供支度代」「山本順庵供支度代」「山本頤庵供支度代」との記載があるのを確認できた。
「徳川幕臣人名辞典」「国書人名辞典」「人物レファレンス事典」等、各種人名辞典・事典を見たが記載なし。
「医家先人伝 古代から幕末まで」(橘輝政著、医薬事業新報社、1969)にも記載なし。
- NDC
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- 個人伝記 (289 9版)
- 医学 (490 9版)
- 参考資料
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- 『近世人名辞典 名号引き 1 ア-サ』(漆山又四郎編 青裳堂書店 1984)
- 『慊堂日暦 1-6』(松崎慊堂著 山田琢訳注 平凡社 1970-1983)
- 『松崎慊堂 その生涯と彼をめぐる人びと』(鈴木瑞枝著 研文出版 2002)
- 『維新史料綱要 3 安政5年7月-文久元年12月』(東京大学出版会 1983)
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『小栗上野介忠順』(矢島ひろ明著 群馬出版センター 1992)
- キーワード
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- 山本 順庵(ヤマモト ジュンアン)
- 山本 頤庵(ヤマモト イアン)
- 医師-歴史
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 図書館
- 登録番号
- 1000082501