杉原千畝(すぎはら・ちうね、1900~1986)は岐阜県に生まれ、早稲田大学在学中に外務省留学生試験に合格し、外務省に入省しました。外務省では、若くしてソ連の経済状況を詳述した報告書(「『ソヴィエト』聯邦国民経済大観」)をまとめるなど、ソ連の専門家として活躍し、また、一時移籍した「満州国」外交部では北満鉄道譲渡交渉をはじめとする対ソ交渉等に従事しました。その後、情報部第一課、在フィンランド公使館勤務を経て、1939年(昭和14年)より新設の在カウナス領事館に副領事(領事代理)として赴任しました。1940年(昭和15年)7月、ソ連によるリトアニア併合が確定的となるなか、通過査証(ビザ)を求めて日本領事館に大挙して押し寄せるユダヤ系の避難民に対して、杉原は2000通以上ビザを発給し、これら人々が国外へと脱出する手助けをしました。戦後、杉原のこうした行為は様々な形で讃えられており、1985年(昭和60年)にはイスラエル政府より、ユダヤ人を救った外国人に与えられる「諸国民の中の正義の人賞(ヤド・ヴァシェム賞)」が授与されています。
杉原に関する史料として、先述の「『ソヴィエト』聯邦国民経済大観」のほか、ユダヤ系避難民へのビザ発給に関する記録(外務省記録「民族問題関係雑件 猶太人問題」所収)などを所蔵しています。また、彼の活動を示した展示も行っています。