レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2010年05月30日
- 登録日時
- 2010/07/03 14:28
- 更新日時
- 2010/12/10 15:43
- 管理番号
- 20100530/48
- 質問
-
未解決
八丈島に流された宇喜多秀家に同行した加賀藩の藩医・村田助六に関する資料はないか。
- 回答
-
不明。
- 回答プロセス
-
まず、『加能郷土辞彙』『石川県姓氏歴史人物大辞典』、当館ホームページの「石川県関係人物文献検索」「石川県関係雑誌記事検索」を見たが「村田助六」は出てこなかった。
ただ、「村田助六」との関係は不明ながら『加能郷土辞彙』「ムラタシヘエ 村田四兵衛」の項に、「父は浦上九郎左衛門。宇喜多秀家の敗戦後、慶長五年前田利長に臣事」、『石川県姓氏歴史人物大辞典』p455「村田 むらた」の項に、「加賀藩士村田四兵衛系は、備前国(岡山県)を本国とする。祖の浦上九郎左衛門は宇喜多氏に仕えた」とあった。
八丈島に関する資料に記述はないかと考え、葛西重雄・吉田貫三/著『八丈島流人銘々伝』(第一書房 1975増補改訂 326.4/18)を見ると、p178~179に「村田道珍斎助六」の項があった。「加賀の前田候の侍医であった」とはっきり書かれている。
近藤富蔵/著『八丈実記 第四巻』(緑地社 1966 213.69/3/4)p348に、「村田道珍斎ハ医師也加州様之御家来ニ有之候所八丈ェ御発足之砌リ助六ト改メ附人被仰付当嶋ヘ参候処…」とあり、同書p357にも同様の記述があった。
質問者は八丈島で村田助六に関する資料を見たとのことで、それはこれらのことではないかと思われる。
「村田助六」「村田道珍」で再び石川県関係資料に当たったが、やはり見つけることはできなかった。
宇喜多秀家は慶長十一年に流されているので、その前後の『加賀藩史料』を見たが、記述はなかった。
ただ、北国新聞データベースでキーワード「村田助六」が2件ヒットした。中村彰彦の新聞小説「われに千里の思いあり」だった。
近畿大学より示唆をいただき、以下の事がわかった。
松浦静山/[著];中村幸彦,中野三敏/校訂『甲子夜話三篇 4』(平凡社 1983 914.5/99/3-4)巻五十一「八丈紀聞」p294に「村田助六方え」という箇所があり、注記に「(村田同苗に非ず。これ嘗て秀家遠島のとき、随往せし旧臣の末ならん。)とある。
- 事前調査事項
- NDC
-
- 個人伝記 (289 9版)
- 参考資料
-
- 『加能郷土辞彙』
- 『石川県姓氏歴史人物大辞典』
- 「石川県関係人物文献検索」
- 「石川県関係雑誌記事検索」
- 葛西重雄・吉田貫三/著『八丈島流人銘々伝』第一書房 1975増補改訂 (326.4/18)
- 近藤富蔵/著『八丈実記 第四巻』緑地社 1966 (213.69/3/4)
- 松浦静山/[著];中村幸彦,中野三敏/校訂『甲子夜話三篇 4』平凡社 1983 (914.5/99/3-4)
- キーワード
-
- 村田助六
- 照会先
- 寄与者
-
- 近畿大学
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000068745