レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2008/07/16
- 登録日時
- 2009/03/18 02:11
- 更新日時
- 2009/04/05 14:07
- 管理番号
- 埼浦-2008-038
- 質問
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未解決
「浦和貨物駅」について書かれた資料、および地図を見たい。
- 回答
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「浦和貨物駅」についての概説資料、「貨物駅」と書かれた地図は見あたらず。関連記述のある資料を紹介した。
1 浦和貨物駅に関連する記述がある資料
※以下の資料によると、貨物駅専用の建物があるわけではなく、複線の貨物線部分が「駅」と思われる。
『浦和市史 通史編3』
p228-237「第十節 日本鉄道第一区線の開通」のp233によると、浦和駅における貨客輸送の著しい増大に対応して、上野~大宮間の複線化が実現している旨の記述あり。
『浦和市史 通史編4』
p310-311には、昭和35年(1960)1月15日限りで、浦和駅においての貨物取扱いが廃止になったとあり。また、写真「浦和駅の貨車荷物積み込み作業(昭和32年頃)」が掲載されている。
『浦和市史 第5巻 現代史料編1』
p736-737「浦和駅貨物取扱存置運動」に、「浦和貨物駅の廃止について」と題した報告書(昭和34.8.14)と、「浦和駅貨物取扱存続について陳情」が掲載されている。
p739「浦和貨物駅の廃止の記事」に、「貨物駅の廃止について」「市民と市政 第101号」(昭和35.2.1)が掲載されている。
『全日通埼玉30年のあゆみ』
p17-18「1960.1.15国鉄大集配制に判う浦和駅貨物取扱廃止反対」に、協定書・覚書が掲載されている。
2 浦和貨物駅と思われる部分が掲載されている地図
『浦和市案内図』(毎日新聞浦和専売所佐々木新聞舗 〔194-〕)
浦和駅複線部分の西側に「日通」があり(岸町4丁目付近)、道路輸送への中継点と推測される。この複線部分が貨物駅と思われるが、〈貨物駅〉の表記はなく、確証を得られず。
『浦和市動態図鑑』(都市動態図刊行協会 1958)
1図にも「日通」はあるが、〈貨物駅〉の表記はなく確証を得られず。
『浦和市住宅案内図 1961年度版』
23図にも「日通」はあるが、〈貨物駅〉の表記はなく確証を得られず。
「浦和市壱部町名地番改正図」(浦和市役所 1937.10)(岐阜県図書館世界分布図センター)
浦和駅複線部分の西側に、「浦和駅貨物取扱所」あり。〈貨物駅〉の表記はなく確証を得られないが、この付近が貨物駅と思われる。
『[埼玉県火災保険特殊地図] 浦和市 no.1』(都市製図社 2009)
上記と同様に「浦和駅貨物取扱所」あり。
- 回答プロセス
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以下に調査済み資料(該当する記述が見あたらなかった資料)をあげる。
鉄道・浦和駅関係の資料をあたったが、関連する記述は見あたらなかった。
『浦和駅開業100年記念』(浦和市 1983)
『開業八十八年記念』(浦和駅 1970)
『埼玉の鉄道』(埼玉新聞社 1982)
『さいたまの鉄道』(埼玉県立博物館 1999)
『高崎線物語』(JR東日本高崎支社 2003)
『埼玉鉄道総合年表』(埼玉鉄道史研究会 1996)
p30 昭和35.1.15「浦和駅貨物取扱廃止」とあるのみ。
『貨物鉄道百三十年史』上・中・下巻(日本貨物鉄道 2007)
『日本鉄道史』上・中・下篇(清文堂出版 1972)
所蔵している浦和の地図資料にあたったが、貨物駅と特定できるものは見あたらず。
『浦和市全図』(須原屋書店 1947)
『最新浦和市詳細図』(東京地図研究社 1954)
『浦和市全図』(浦和市 〔1955〕)
『浦和市全図』(〔昭文社〕 1960)
『浦和市議会史 下巻後編』附録「大浦和市全地図」(1934)、「浦和市全図」(1947)、「浦和市全図」(1959)
岐阜県図書館世界分布図センター所蔵の地図「浦和市壱部町名地番改正図」(浦和市役所 1937.10)に、「浦和駅貨物取扱所」の表記があるとの情報を得た。
- 事前調査事項
- NDC
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- 鉄道運輸 (686 9版)
- 貴重書.郷土資料.その他の特別コレクション (090 9版)
- 日本 (291 9版)
- 参考資料
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- 『浦和市史 通史編4』(浦和市総務部行政管理課 浦和市 2001)
- 『浦和市史 第5巻 現代史料編1』(浦和市総務部行政管理課 浦和市 1999)
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『全日通埼玉30年のあゆみ 1952年7月~1981年9月』(1981)
- キーワード
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- 鉄道-浦和-さいたま市-埼玉県-歴史
- 浦和貨物駅-駅舎
- 鉄道輸送
- 郷土資料
- 地図
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000052533