レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2007/08/10
- 登録日時
- 2007/12/01 02:11
- 更新日時
- 2007/12/27 15:24
- 管理番号
- 埼熊-2007-046
- 質問
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解決
昭和21年頃山形2区で当選し政界で活躍していた元衆議院議員故「図司安正(ズシヤスマサ)」の苗字について関心がある。16世紀ごろ羽黒町手向居住の「図司呂丸(ズシロガン)」と縁戚か。縁戚でなければ、故図司安正氏の祖はどちらの出身かを調べてほしい。
- 回答
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下記資料により、図司安正(明治38.12.4-平成2.5.12)」氏の出身は山形県とわかるが、先祖の出身地は不明で家系に関する記述は見つからず。徳川中期蕉門の俳人「図司呂丸(本名近藤佐吉 -1693)」も出生地不明瞭で、二人の関係を示すものは記載されていなかった。参考資料を以下の通り紹介する。
図司安正に関する資料
①『山形県大百科事典 新版』(山形放送 1993)p386に埼玉県(誤植?)松山町生まれとあり。
②『昭和人名辞典 Ⅱ-2 東日本篇』(日本図書センター)p272に住所は山形県新庄とあり。
③『産経日本紳士年鑑 第5上版』(産経新聞年鑑局)p173に山形県生まれ、住所は浦和市本太とあり。
④『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』(大蔵省印刷局)p325
⑤『政治家人名事典 新訂 明治-昭和』(日外アソシエーツ 2003)p321
⑥「新編庄内人名辞典」(庄内人名辞典刊行会 1986:山形県図蔵)
⑦「庄内文化芸術名鑑」(六兵衛館 1982:山形県図蔵)
⑧「最上総合開発」(図司安正 公報社:山形県図蔵)に飽海郡松嶺町生まれとあり。
図司呂丸に関する資料
①『日本人名大事典3』(平凡社)p470「図司呂丸」の項に、徳川中期の俳人。出羽羽黒山麓手向の人とあるが、安正との関連記述なし。
②戸川安章「羽黒の俳人・図司呂丸」(「国語国文」21(6) 1952.7 p404-416の部分複製資料:山形県立図)に、「子孫は羽黒には残っていない。呂丸(本名近藤佐吉)は染屋を業とした平兵衛の先祖とされる。呂丸一家の墓と位牌は発見できず」等詳細な記述があるが、安正に言及する記載なし。
- 回答プロセス
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『山形県大百科事典 新版』(山形放送 1993)p386「図司安正」の項を確認。1905(明治38)-1990(平成2)埼玉県松山町生まれとあるが、いくつかの人名事典では山形県出身と記述あり。誤植と考え調査をすすめる。
なお『産経日本紳士年鑑 第5上』(産経新聞年鑑局)に住所は浦和市本太とあり、『朝日新聞 縮刷版 平成2年5月号』p203、p218の訃報(5/12没)の記事で、平成2年5月に埼玉県で亡くなっていることがわかる。各資料に略歴はあるが、先祖や家系に関する記述は見つからない。
《Google》を探索。〈図司呂丸宅跡〉のWebサイトに「図司は染物業のこと、呂丸は俳号、鶴岡鳥居町の藩士図司家の出で・・・羽黒俳壇の雄」との情報がある。山形県立図書館のWebサイトで〈図司呂丸〉〈図司安正〉の著書や関連資料がいくつか見つかり、直接問い合わせを行なう。図司安正著「最上総合開発」に飽海郡松嶺町生まれ、「雪の燈」にも山形県出身とあるが、二人の関係を示す資料は見つからなかったとの回答を得る。
- 事前調査事項
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「山形県大百科事典」で知った。
- NDC
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- 個人伝記 (289 9版)
- 政治史.事情 (312 9版)
- 貴重書.郷土資料.その他の特別コレクション (090 9版)
- 参考資料
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- 『山形県大百科事典 新版』(山形放送)
- 『昭和人名辞典 Ⅱ-2 東日本篇』(日本図書センター)
- 『産経日本紳士年鑑 第5上版』(産経新聞年鑑局)
- 『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』(大蔵省印刷局)
- 『政治家人名事典 新訂 明治-昭和』(日外アソシエーツ)
- 「新編庄内人名辞典」(庄内人名辞典刊行会:山形県図蔵)
- 「庄内文化芸術名鑑」(六兵衛館:山形県図蔵)
- 「最上総合開発」(図司安正 公報社:山形県図蔵)
- 『日本人名大事典 3』(平凡社)
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戸川安章「羽黒の俳人・図司呂丸」(「国語国文 21(6)」 1952.7 p404-416の部分複製資料:山形県図蔵)
- キーワード
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- 図司 安正(ズシ ヤスマサ)
- 図司 呂丸(ズシ ロガン)
- 郷土資料
- 山形県
- 埼玉県
- 政治家
- 照会先
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- 山形県立図書館
- 寄与者
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- 山形県立図書館
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000039885