レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2023/06/10
- 登録日時
- 2024/04/07 00:30
- 更新日時
- 2024/04/07 00:30
- 管理番号
- 6001014042
- 質問
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解決
酒津の曙橋の向いにある、イオン倉敷の敷地に隣接する祠(小さな神社)のいわれ・祭神と土地の所有者について調べている。
町内では「ごず(牛王)さま」と呼んでいる。
かつては八幡様ののぼりが立っていたが、いつからか熊野神社ののぼりに変わっていた。しかし、誰がどんな理由でのぼりを変えたのか、もうわかる人はいない。
町内の人で調べたが、いわれなど詳細を知る人がおらず、困っている。
この祠以外にも周辺の祠・神社についても知りたい。
- 回答
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土地の所有者については、岡山県地方法務局倉敷支局を紹介。
酒津周辺の神社について、下記資料に八幡神社・青江神社について記載あり。
・『都窪郡誌』 都窪郡教育会/編 名著出版 p698-701
歴史資料整備室に調査を依頼したところ、以下の通り回答された。
「地元の方が祠を「牛王さま」と呼ばれていることから、スサノオノミコトを祀る牛頭(王)天王と思われます。
そこで、『中洲町誌』 土倉 唯次/著 中洲町誌編纂委員会 を確認したところ、
p159-162に倉敷県の時代(明治元年~四年)の資料である「八幡神社御伝記略御宮殿間数録」が掲載されており、この記録の末社の中に「月読社 所祭(祭神) 健速須佐之男命」が見られます。(p95-99 にも同様の記載あり)
また、歴史資料整備室所蔵の「小野家文書」に、酒津村の神社の書き上げがあり、その中にも末社として「牛王社 所祭 月夜見命」との記載があります。両社は祭神と社名が逆になっているが同じものです。
ただ、どちらかと言うと『中洲町誌』の記録のほうが正式かもしれません。この資料は倉敷県になったときに役所に提出されたものと推測されるからです。
『中洲町誌』p162には末社の大きさが書かれていて月読社は一尺×一尺七寸なので昔も今と変わらず小さな祠程度の社だったと思われます。
同資料には摂社・末社がいろいろ書き上げてありますが、付近にある神社や祠は、これらのうちのいづれかに該当するものと考えられます。」
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 都窪郡誌都窪郡教育会/編名著出版 (p698-701)
- 中洲町誌土倉 唯次/著中洲町誌編纂委員会 (p95-99、p159-162)
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 一般
- 登録番号
- 1000348812