レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2023/5/12
- 登録日時
- 2023/05/12 16:51
- 更新日時
- 2023/05/19 15:45
- 管理番号
- 中央-郷土-051
- 質問
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解決
大糸線のアルプス追分駅(現安曇追分駅)・中萱駅・島内駅の開通日を調べると官報と社史に差異がある。正しい開通日を知りたい。
- 回答
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アルプス追分駅(現安曇追分駅)は、大正4年11月12日が開通日と思われる。(資料①の記載が正しいと思われる。)
中萱駅は、大正4年4月30日が開通日と思われる。(官報、資料①の記載がともに間違っている可能性がある。)
島内駅は、大正4年10月1日が開通日と思われる。(官報の記載が正しいと思われる。)
- 回答プロセス
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質問者が、開通当時の記録での確認を希望しているので、信濃毎日新聞データベースでそれぞれの日付の当日と前後2日間の計5日間の新聞記事を確認。その結果、大正4年5月2日の三面に「信濃鐵道にては今度南安曇郡明盛村字中萱地籍に停留所を新設し去月卅日より開始したるが…」との記載を発見。官報、資料①のどちらとも日付は異なるが、新聞記事が正しければ、中萱駅の開通日は大正4年4月30日となる。他の2つの駅に関する記事は見つからなかった。
続いて、資料②p.191~島内開場記念碑に関する記載を発見。「…、碑に刻まれた日付は開駅前の「大正4年9月30日」となっている。~中略~だが、工事は予定どおりには進まず、営業が開始されたのは10月1日からだった。」との記述があり、島内駅の開通日は、官報記載の大正4年10月1日が正しいと思われる。
アルプス追分駅は、資料③p.121に記載を発見。「○安曇追分停留所 大正四年十一月十二日設置 場所 北穂高村島新田区 有明駅長ノ管轄…」との記述があり、アルプス追分駅の開通日は、資料①記載の大正4年11月12日が正しいと思われる。
- 事前調査事項
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質問者が「社史」というものは、資料①である。社史であることが判断できる表記は資料にはないが、過去に質問者が鉄道会社に問い合わせた際に、資料①が社史に当たると回答があったため、社史といっている。
アルプス追分駅(現安曇追分駅)・中萱駅・島内駅の3駅は、官報と資料①で開通日の記載が一致していない。それぞれの記載は次の通りである。
アルプス追分駅…官報:大正4年11月16日 資料①:大正4年11月12日 中萱駅…官報:大正4年5月1日 資料①:大正4年5月30日 島内駅…官報:大正4年10月1日 資料①大正4年11月1日
他に現在国立国会図書館等を利用し関連資料を調べたが、官報をもとに著されたものと資料①をもとに著されたものが混在している。
現在大糸線を運営しているJR東日本にも問い合わせたが、資料①が当時運営していた信濃鉄道の社史にあたるため、見解は①に基づくとの回答を得ている。
できる限り、開通当時の記録から確認をしたい。
- NDC
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- 鉄道運輸 (686 9版)
- 参考資料
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- ①信友会. 信濃鉄道史. 1940. (当館請求記号 N686シ, 当館資料番号 3010259467)
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②降幡利治 著 , 降幡, 利治, 1917-2010. 信州の鉄道碑ものがたり. 信濃毎日新聞社, 2017. (信毎選書 ; 23)
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I028046930-00 , ISBN 9784784073023 (p.191 当館請求記号 N686フ,当館資料番号 7011503310) - ③北穂高尋常小学校 編. 北穂高村誌. 1921. (p.121 当館請求記号 N232キ, 当館資料番号 7011158859)
- キーワード
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- 信濃鉄道
- 大糸線
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000333089