レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 登録日時
- 2021/01/23 09:20
- 更新日時
- 2021/03/31 10:05
- 管理番号
- 015
- 質問
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解決
かつて存在した相馬御厨の範囲が常総市内にも広がっていたようだが、どのあたりまでなのか。
- 回答
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記述で残る相馬御厨の範囲は東:蚊虻境、西:廻谷・東大路、南:志子多谷・手下水海、北:小足高・衣河とあります。
常総市内に及ぶとすれば北の衣河との関係ですが、文献によって衣河を鬼怒川とみるか小貝川とみるかが分かれているため、該当する範囲が大きく変わります。
『取手市史通史編Ⅰ』において「布瀬郷や相馬郡がそのまま相馬御厨と考えてよい」、また『角川日本地名大辞典8茨城県』において「取手市を中心とする北相馬郡全域が相馬御厨に含まれていたと考えられる」と記述があることから、旧北相馬郡の坂手村・内守谷村・菅生村の地域が相馬御厨の範囲に含まれるのではないかと考えられます。
平安後期の時代のため、資料に乏しく地図上で断言はできないようです。
- 回答プロセス
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1.図書館システムで『相馬御厨』を資料検索したが該当なし。
『荘園』で検索した結果、該当1件あり(参考資料1)。「現在の我孫子市及び茨城県北相馬郡と取手市を中心とする地域」の記述あり。
2.インターネットで『相馬御厨』を検索。
ADEACの『守谷町史』がヒット。内に範囲が水海道に及ぶ記述あり。
『相馬御厨 水海道』で検索。
ADEACの『水海道町史上巻』がヒット。平将門が相馬本郷で生誕の記述あり。相馬御厨の範囲はなし。
3.『取手市史』・『我孫子市史』などの郷土資料を調査。
『取手市史 通史編Ⅰ』第五章において、つど微妙に異なるものの「布瀬郷や相馬郡がそのまま相馬御厨と考えてよいように思われる」との記述あり。
また、北の境は「衣川」(鬼怒川)・「小阿高」(伊奈町足高)となっており、最終的に相馬御厨の範囲は「現在の茨城県取手市・利根町・守谷町・藤代町、それに千葉県我孫子市・柏市や野田市の一部」と記述されている。
4.『角川日本地名大辞典8茨城県』を調査。
相馬御厨の項目で「衣河は現在の小貝川と推測され、常陸国と下総国の境であった」との記述あり。
また、「北相馬郡全域が相馬御厨に含まれていたと考えられる」の記述あり。
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (210 10版)
- 参考資料
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安田元久 編 , 安田, 元久, 1918-1996. 荘園. 東京堂出版, 1993. (日本史小百科)
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002273968-00 , ISBN 4490202199 -
取手市史編さん委員会 編 , 取手市教育委員会. 取手市史 通史編 1. 取手市教育委員会, 1991.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002115568-00 -
「角川日本地名大辞典」編纂委員会. 茨城県. 角川書店, 1983. (角川日本地名大辞典 ; 8)
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I077725431-00 -
守谷町史編さん委員会/編 , 守谷町史編さん委員会 , 守谷町. 守谷町史. 守谷町, 1985-03.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I062819464-00
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安田元久 編 , 安田, 元久, 1918-1996. 荘園. 東京堂出版, 1993. (日本史小百科)
- キーワード
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- 相馬御厨
- 水海道
- 常総市
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000292847