レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021年12月4日
- 登録日時
- 2023/03/27 15:23
- 更新日時
- 2023/09/01 15:33
- 管理番号
- 2021-01
- 質問
-
解決
『週刊 日本の城 第19巻』に「美しい櫓で評判になったという」と紹介されている山形城の月見櫓と、インターネット(米沢観光コンベンション協会)で存在を知った米沢城の月見櫓の資料が見たい。
- 回答
-
〇山形城の月見櫓
「美しい櫓」と示された文献はありませんでしたが、以下の資料に月見櫓の情報が
ありました。
資料1「史跡 山形城跡 本丸西堀・土塁跡発掘調査報告書
-史跡山形城跡(霞城公園)整備報告書Ⅵ-山形県山形市埋蔵文化財調査報告書
第40集」には以下のとおり記載がありました。
「まとめ 1-3 西堀内崩落の石垣石材
本丸西堀内堀底堆積層上からは比較的多量の石垣石材が出土した。西土塁上には
隅櫓がかつて存在したが、明治期の廃城あるいは旧陸軍配備に伴う本丸解体において
投棄崩落したものと推察する。その検出範囲を示せば、本丸西堀南西隅周辺…(略)…
江戸時代の絵図等を参照すると隅櫓があり、前者は「本丸月見櫓(別称坤櫓)」で
名称が判明し、…(略)…その破壊に伴う崩落であることが明瞭である。各櫓は江戸前期の
「鳥居忠政による大改修」以後の構築であり、現存する二ノ丸土塁の櫓台石垣と同時期の
普請によるものであったと考えられる。…」
また、同資料に本丸月見櫓の推定位置が記載された図と、「秋元氏時代山形城絵図に
みる本丸月見櫓の絵図(粕川家所蔵)」の図が掲載されています。
また、現在の写真となりますが、山形市HP国指定史跡山形城跡「霞城公園」(以下リンク)
の各種パンフレット>霞城公園全体に関するもの>国指定史跡山形城跡(PDF 6.6MB)
にて坤櫓の写真が確認できますので参考までにご紹介いたします。
【https://www.city.yamagata-yamagata.lg.jp/shisetsu/kurashi/1008161/1003675.html】
〇米沢城月見櫓について
以下の資料に月見櫓の情報がありました。
資料2「米沢城 上杉氏の居城 特別展」には以下のとおり記載がありました。
「防御と攻撃の施設④ 櫓の役割
…(略)…高層建築である櫓は時に眺望を楽しむ風流の場でした。資料18「松岬堞城図」
によれば、二の丸北東には享和元年(一八〇一)まで二階建ての花見櫓があり、
堀の向こうに広がる花畑を眺めることができました。また本丸南側には、多聞櫓の上に
組まれた月見櫓が確認できます。」
- 回答プロセス
- 事前調査事項
-
'出典
・ディアゴスティーニ『週刊日本の城 19巻』
・米沢観光コンベンション協会HPhttp://samidare.jp/yonezawa/lavo?p=log&lid=44305
調査済み文献
・『山形市史中巻 近世編』
・『米沢市史 第3巻』
・『米沢市史 第2巻』
- NDC
- 参考資料
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- 「史跡 山形城跡 本丸西堀・土塁跡発掘調査報告書-史跡山形城跡(霞城公園)整備報告書Ⅵ-山形県山形市埋蔵文化財調査報告書第40集
- 米沢城 上杉氏の居城 特別展
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 学生
- 登録番号
- 1000331056