レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2010年10月26日
- 登録日時
- 2011/03/15 16:38
- 更新日時
- 2011/03/15 16:38
- 管理番号
- 9000006872
- 質問
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解決
昭和30年頃、甲府市竪町にあった「山梨商業高校」について知りたい。芙蓉学園と同じ学校なのか。
- 回答
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「山梨商業高等学校」は、学校法人芙蓉学園山梨商業高等学校で、現在の東海大学甲府高等学校の前身にあたる。昭和34(1959)年に甲府市竪町から甲府市金竹町(現在地)に移転した。学校の沿革については照会資料をご覧ください。
- 回答プロセス
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1.『山梨百科事典』(山梨日日新聞社編・発行 1989年)には芙蓉学園、山梨商業高校の項目はない。
2.自館システムで、芙蓉学園、山梨商業高校を検索するが未ヒット。
3.『山梨県教育百年史』全3巻(山梨県教育委員会編・発行 1976-1979年)、『甲府教育百年史』(田中憲著 甲府市教育委員会 1965年)の職業高校、専修学校、私立高校の項目には、芙蓉学園、山梨商業高校なし。
4.『山梨県教職員録』(山梨県教育庁編・発行)の昭和30年度~35年度を調査
・昭和34年度に「山梨商業高等学校」掲載あり
・昭和35年度に「芙蓉学園山梨商業高等学校」掲載あり、所在地は現在の東海大学甲府高等学校と同様である。
5.東海大学甲府高等学校の沿革について調査
・『山梨県教育百年史』全3巻(山梨県教育委員会編・発行 1976-1979年)p621-622「東海大学甲府高等学校」の項をみると、沿革の内容は概ね次の通り。昭和21(1946)年4月塩山市に設立された山梨高等経理学園が前身である。昭和26(1951)年1月学校法人山梨高等商業学校と改称、甲府市堅町に新校舎建設(分校)、昭和32(1957)年3月学校法人芙蓉学園山梨商業高等学校と改称(定時制設置。甲府を本校、塩山を分校に変更)。昭和34(1959)年3月甲府市金竹町の新校舎に移転。昭和39(1964)年学校組織を、学校法人東洋大学芙蓉学園に変更、学校名を東洋大学第三高等学校とした。その後東海大学との学校移管交渉により昭和49(1974)年4月から東海大学甲府高等学校に校名を変更。
・『甲府教育百年史』(田中憲著 甲府市教育委員会 1965年)p446には「東洋大学第三高等学校」の項に同様の沿革の記述あり。
・『山梨百科事典』(山梨日日新聞社編・発行 1989年)p648「東海大学高等学校」の項に、簡単な沿革の記述あり。
・『東海大学甲府高等学校学校要覧』1999年度(東海大学甲府高等学校 1999年)、『山梨の学校』(浅川明次編・発行 1993年)p62に沿革(年譜)の掲載あり。
・『甲府の学校』(浅川明次編・発行 1986年)p203に校名の変遷あり。
・インターネットの東海大学甲府高等学校webサイト(http://www.kofu.tokai.ed.jp/ ※2010.12.3確認)に沿革の記載はあるが、山梨商業高校学校、芙蓉学園の名称はみあたらない。
- 事前調査事項
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『山梨県医師会誌』(山梨県医師会編・発行 1969年)p1136第2節「甲府准看護婦学校」の記述に「…甲府市竪町の旧山梨商業高校の買収移転工事がもち上がり…(中略)校地・校舎の買収については、ついに一千万円ともって買い入れを決定し…学校法人看護学園甲府准看護婦学校として新発足することになった」と記述がある。他に芙蓉学園から購入したという記述もあるので、両者は同じ学校か確認したい。同書の記述によれば、昭和34(1959)年4月1日に学校法人として県から認可がおり、同12月には新校舎で設立祝賀記念式典を挙行。
- NDC
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- 教育課程.学習指導.教科別教育 (375 9版)
- 参考資料
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- 『山梨県教育百年史』第3巻(山梨県教育委員会編・発行 1979年) (p621-622)
- 『甲府教育百年史』(田中憲著 甲府市教育委員会 1965年) (p446)
- キーワード
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- 山梨高等商業学校
- 芙蓉学園山梨商業高等学校
- 山梨高等経理学園
- 東洋大学第三高等学校
- 東海大学甲府高等学校
- 山梨商業高等学校
- 高等学校
- 石部栄永
- 山梨県
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土(教育)
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000081911