レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2010年05月27日
- 登録日時
- 2010/11/04 13:58
- 更新日時
- 2011/01/22 10:31
- 管理番号
- 9000006451
- 質問
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解決
『山梨県史』通史編5 近現代(山梨県編集 山梨日日新聞社 2005年)の口絵にある「舞鶴館」について、どこにあったか、何に使われたか、屋根の飾りは何かを知りたい。
- 回答
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舞鶴館(ぶかくかん)は、甲府市相生町15番地(現在の相生二丁目)にあった集会所、劇場。明治24(1891)年に建てられ、後に甲府座と改称された。入母屋屋根には鯱がある。また、正面の屋根の飾りは、建物の名称と、竣工を記念して発行された銅版画から鶴だと推測される。
- 回答プロセス
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1.『山梨百科事典』(山梨日日新聞社編・発行 1989年)には記載がない。
2.『甲府市史』別編2 美術・工芸(甲府市市史編さん委員会編 甲府市 1988年)第1章「建築」第2節「近・現代建築」に「舞鶴館」の記述があり、「明治二十四年、甲府市相生町一五番地、旧日本銀行甲府支店裏手付近に、集会場としての舞鶴館が建設された。」「屋根を見れば鯱を乗せ…」と記述がある。『山梨県史』の口絵と同じ銅版画が掲載(竣工を記念して発行されたもの)。『写真集 明治大正昭和 甲府:ふるさとの思い出』(飯田文弥ほか編著 国書刊行会 1978年)には掲載なし。
3.建築関係の郷土資料にあたると、『山梨の洋風建築:藤村式建築百年』(植松光宏著 甲陽書房 1977年)に「甲府市相生町一五番地に、…集会場としての舞鶴館が建てられた」」とある。また、『山梨県史』と同様の銅版画が見開きで紹介。屋根の飾りは鯱と鶴のようである。
4.「山梨日日新聞縮刷版検索」データベースで「舞鶴館」を検索すると「歴史カレンダー」がヒット。明治26(1893)年10月21日に「河野広中らを迎えて自由党山梨支部の結成大会が甲府・舞鶴館で開かれる」、明治28(1895)年1月2日に「甲府市相生の「舞鶴館(ぶかくかん)」に併設された「舞鶴楼」が開業した」という記事がある。
5.山梨県立博物館のwebサイトで収蔵資料を検索すると、「舞鶴館絵図面(ぶかくかんえずめん) 」が所蔵されている。明治中期のもので、概要解説「明治24年、甲府市相生町に建設された、「藤村式建築」の一つである舞鶴館の絵図面1点、および使途不明の絵図面が2点」とある。
- 事前調査事項
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『山梨県史』通史編5 近現代(山梨県編集 山梨日日新聞社 2005年)口絵11に「舞鶴館略図」の掲載がある(個人蔵の銅版画)。p465には「二十三年、甲府佐渡通りの相生町(現相生二丁目)に舞鶴館、後日甲府座と改称された劇場が設立されたが、数年足らずでなくなった…」とあった。
- NDC
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- 日本の建築 (521 9版)
- 参考資料
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『山梨県史』通史編5 近現代(山梨県編集 山梨日日新聞社 2005年)
(口絵11,465) -
『甲府市史』別編2 美術 工芸(甲府市市史編さん委員会編
甲府市 1988年) (p102) - 『山梨の洋風建築:藤村式建築百年』(植松光宏著 甲陽書房 1977年) (p187-198)
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『山梨県史』通史編5 近現代(山梨県編集 山梨日日新聞社 2005年)
- キーワード
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- 舞鶴館
- 甲府座
- 藤村式建築
- 建築
- 山梨県
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 『山梨の演劇』(小柳津浩著 甲陽書房 1978年)のⅡ「明治、大正の演劇」p60には、「なお、明治二十三年(一八九〇)か四年(一八九一)ごろ、佐渡町通りの相生町(今の相生二丁目)に舞鶴館(後に甲府座と改称)が設立されたが、数年ならずして廃業となったので、甲府の人びとにはなじみの薄いものだった」との記述がある。
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土(技術・工業)
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000073150