レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2015年06月05日
- 登録日時
- 2015/07/28 16:27
- 更新日時
- 2016/04/16 13:39
- 管理番号
- 20150001
- 質問
-
解決
明治の神通川の河川改修工事と富山市街地の川筋の変化についてわかる資料はないか
- 回答
-
『富山の近代化』富山市郷土博物館編(T232-122) p22より「神通川と街づくり」、カラー図版(p6-7)に江戸末期から昭和まで富山市街図
『明治の富山をさぐる』水間直二編(T232-69) p214より「馳越工事といわれるもの」
『船橋向かいものがたり』水間直二編(T232-82) p68より「馳越工事以後(後期)」
『わが町の歴史・富山』坂井誠一編著(T232-71) p211より「馳越線開さく事業」、p234より「廃川地の都市計画」
『近代土木事業史に関する研究』市川紀一著(T517.3-52) p45より「明治期における神通川改修計画」
地図『富山市実測全図』明治25年(T290.332-8)『富山市全図』明治44年(T290.332-17-M44)
- 回答プロセス
-
神通川では明治34年から水害対策として、東側に湾曲した流路(現在の松川)に分水路を設けたいわゆる馳越線工事が行われた。
1 該当地域の郷土史(T232)および河川工学(T517.3)から記述のある資料を調査した。
2 地図は馳越工事の前後の年代の富山市の地図を調査した。
3 当館HPの古絵図・貴重書ギャラリーを「馳越」で検索すると「神通川実測平面図」が見つかった。資料解説によれば「神通川実測平面図」には馳越線工事の計画部も測量されている。実測平面図のため、市街地についてはあまり分からない。
4 「神通川改修」などで国立国会図書館デジタルコレクションを検索したところ、博士論文「近代土木事業史に関する研究」(当館所蔵)にも明治期における神通川改修計画の記述があることがわかった。内務省の直轄事業年報なども見つかったが、大正期の第三次改修工事のものだった。
5 インターネット資料収集保存事業を「神通川 馳越 明治」で検索すると国土交通省のHPに「神通川の歴史」、富山県のHPに「富岩運河物語 富岩運河の建設と利用の歴史」があり、神通川河道の変遷の図が掲載されていた。また、富山市郷土博物館「博物館だより45号」などにも記事があった。
- 事前調査事項
- NDC
-
- 北陸地方 (214)
- 河海工学.河川工学 (517)
- 参考資料
-
- 富山市郷土博物館/編 「富山の近代化 : 特別展 街はこうしてつくられた」 富山市教育委員会, 2000.
- 水間直二/編 「明治の富山をさぐる : 総曲輪を中心として」 水間直二, 1979.
- 水間直二/編 「船橋向かいものがたり : 愛宕の沿革」 富山県の民衆史を掘り起す会, 1989.
- 坂井誠一/編著 「わが町の歴史・富山」 文一総合出版, 1979.
- 市川紀一/[著] 「近代土木事業史に関する研究 : 高田雪太郎の生涯と業績」 [市川紀一], 2000.
- キーワード
-
- 神通川
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000177806