レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014年09月04日
- 登録日時
- 2014/09/04 11:52
- 更新日時
- 2015/06/16 13:49
- 管理番号
- 秋田-1717
- 質問
-
解決
明治時代の雄物川について調べている。
①雄物川と秋田運河は繋がっていたのか。
②土崎港に浜蔵はいくつくらいあったのか。
- 回答
-
①について、雄物川に「雄物川放水路」が完成したことにより、旧雄物川は「秋田運河」と呼ばれるようになった。
『秋田市大事典』(秋田市大事典編集委員会/編、国書刊行会、1986)【貸出不可】
P.2
「秋田運河」の項
「昭和一三年に雄物川放水路が開通してから、新屋船場町から、秋田港までの旧雄物川を秋田運河と呼ぶ。
全長約九キロメートルで、旭川・太平川・草生津川が流入している。」
『秋田大百科事典』(秋田魁新報社/編集、秋田魁新報社、1981)【貸出可】
P.7~8
「秋田運河」の項
「旧雄物川ともいう。雄物川水系の派川。秋田市内。一九一七年(大正六)以来、国営の雄物川改修事業が
行われ、一九三八年(昭和一三)に新屋浜に砂丘を横切って雄物川の新放水路(長さ二キロ余、
幅三六〇メートル)が完成した。
これによって雄物川分流点から日本海まで九・三キロの旧雄物川が秋田運河となった。」
『雄物川の流路変遷』 (齋藤 実則/編著、国土交通省東北地方整備局湯沢河川国道事務所、2003)
【貸出可】P.123~126
「秋田運河」について下記記述あり。
「昭和16年(1941年)港名が秋田港となり、26年(1951年)秋田港は、重要港湾に指定された。
これを契機に、その後旧雄物川を「秋田運河」として、秋田港の修築整備が、広大なが埋立地を擁する
臨海型の工業地帯として醸成されるよう、昭和40年(1965年)「新産業都市」に指定され
秋田湾臨海工業地帯の核心となった。」
「雄物川放水路」について記載のある参考文献
・『雄物川の流路変遷』(齋藤 実則/編著、国土交通省東北地方整備局湯沢河川国道事務所、2003)
【貸出可】P.123~126
・『雄物川、川の本』(国土交通省東北地方整備局秋田工事事務所/編、国土交通省東北地方整備局
秋田工事事務所、2002)【貸出可】 P.25~28
・『雄物川の河川交通 湯沢叢書6』(斎藤 実則/著、建設省東北地方建設局湯沢工事事務所、1999)
【貸出可】 P,78~80
・『雄物川往来誌 下 シリーズ秋田の民衆史』(佐藤 清一郎/著、秋田文化出版社、1978)【貸出可】
P.55~58
・『雄物川改修史 主として通水爆破まで』(建設省東北地方建設局秋田工事事務所/編、
建設省東北地方建設局秋田工事事務所、1957)【貸出可】 P98~100
②について土崎港の明治中期の浜蔵の数は数百という記述はあったが、明確な数については発見に至らず。
・『雄物川の河川交通 湯沢叢書6』(斎藤 実則/著、建設省東北地方建設局湯沢工事事務所、1999)
【貸出可】P,82~99
土崎港の浜蔵について記述あり(表ー18にて)
→表によると明治中期の土崎の浜蔵所在地は数百にのぼる
下記資料も参照したが土崎港の浜蔵の明確な数について発見に至らず。
・『雄物川往来誌 上・下 シリーズ秋田の民衆史』(佐藤 清一郎/著、秋田文化出版社、1978)
【貸出可】
・『雄物川の河川交通 湯沢叢書6』(斎藤 実則/著、建設省東北地方建設局湯沢工事事務所、
1999)【貸出可】
・『土崎港町史』(秋田市役所土崎出張所/編、歴史図書社 1979) 【貸出可】
・『土崎の史誌 土崎港町・秋田市合併50周年記念誌』
(土崎港町・秋田市合併50周年記念誌編纂委員会/編、土崎史談会、1992)【貸出可】
- 回答プロセス
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①「秋田運河」でOPAC検索→ヒットせず。
秋田に関する事典をブラウジング。
「雄物川」に関する本をブラウジング。
②「土崎」「浜蔵」でOPAC検索→ヒットせず
「土崎」に関する本をブラウジング→該当資料なし。
「雄物川」に関する本をブラウジング→一冊該当資料あり。
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (210 8版)
- 河海工学.河川工学 (517 8版)
- 参考資料
- キーワード
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- 雄物川
- 運河
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 受付方法:メール
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000159355