レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014/08/03
- 登録日時
- 2014/09/06 00:30
- 更新日時
- 2014/09/17 10:51
- 管理番号
- 6000017801
- 質問
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解決
北大阪急行緑地公園駅はほかの駅より少し遅れてできたと聞いたことがあるが、そのときの経緯がわかる本はあるか。
- 回答
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『新修豊中市史 通史2』などに、緑地公園駅ができた際の経緯があり。
- 回答プロセス
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『新修豊中市史 第2巻 通史2』(豊中市)p748-751「都市基盤の整備 北大阪急行電鉄の展開」に、昭和45(1970)年の万博開幕に合わせて北大阪急行電鉄が運転を開始し、閉幕後に現在の江坂-千里中央間の営業運転が開始されたこと、緑地公園駅は沿線の住宅開発との連関で当初より駅の設置が考えられており、昭和50年に駅が完成したことの記載があり。
参考として挙げられている『北大阪急行25年史』(北大阪急行電鉄株式会社)を調べると、p98-100に「住民の期待にこたえて『緑地公園駅』新設」の節があり。当初から豊中市寺内地区に駅の設置が計画されていたが、開業当初は周辺の開発が進んでおらず、市の区画整理の進捗状況に合わせて解説時期を決定することになっていたなどの記載があり。
同じく『新修豊中市史 第8巻 社会経済』(豊中市)p846-860「北大阪急行電鉄の形成と発展」には計画から万博閉幕後までの北大阪急行の動向について記載があり、p859には昭和45年から55年までの駅別の年間利用者総数のグラフもあり。
上記のほか、『新修豊中市史 第9巻 集落・都市』(豊中市)p465-477「住宅市街地の変容と中高層化」には、日本万国博覧会以降、特に昭和50年代から北大阪急行沿線の市域東部でマンションが増え始めたことなどの記載があり。こちらも参照して帰られた。
- 事前調査事項
- NDC
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- 鉄道運輸 (686 9版)
- 参考資料
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- 『新修豊中市史第2巻』豊中市史編さん委員会/編集(豊中市)
- 『北大阪急行25年史』北大阪急行電鉄株式会社/編集(北大阪急行電鉄株式会社)
- 『新修豊中市史第9巻』豊中市史編さん委員会/編集(豊中市)
- 『新修豊中市史第8巻』豊中市史編さん委員会/編集(豊中市)
- キーワード
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- 緑地公園(リョクチコウエン)
- 北大阪急行電鉄(キタオオサカキュウコウデンテツ)
- 鉄道(テツドウ)
- 歴史(レキシ)
- 豊中(トヨナカ)
- 日本万国博覧会(ニホンバンコクハクランカイ)
- 都市計画(トシケイカク)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- その他
- 質問者区分
- 高校生
- 登録番号
- 1000159455