レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2009/01/18
- 登録日時
- 2009/05/09 02:11
- 更新日時
- 2009/05/12 15:30
- 管理番号
- 埼熊-2008-158
- 質問
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解決
『日本戦史 〔6〕 長篠役』の補伝「第十三 織田信長上杉ニ結フ」に出てくる柴田右馬助、稲葉彌助の出自について知りたい。
- 回答
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「北越軍談」(『上杉史料集 中』)「北越家書」(『越佐史料 5』)などによれば柴田右馬助は信長の家臣で柴田修理亮勝家の従兄弟であると記述があった。稲葉彌助については、情報が見つからなかった。
- 回答プロセス
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柴田右馬助について
『日本戦史 長篠役』(参謀本部 村田書店 1978) 「補伝13」に名前あり(索引には補伝24となっている)。出典は『武徳編年集成 上』「天正元年九月」にあり。
『資料と図録による 日本絵画史』p92「北越家書」中に、信長が謙信に屏風を贈った時の使者名に柴田右馬助あり。時代は信長が勝頼夾撃を謙信に説いた頃のもの。「天正元年十月、織田信長ノ両使柴田右馬助・稲葉彌助越譜へ来ル、」内容は、上記史料とほぼ同じ。
小沢弘「佐渡洛中洛外図屏風について」(『佐渡―島社会の形成と文化』所収)より、p152「北越家書」「北越軍談」の天正元年10月の記述に両名の名あり。実際に贈られたのは『日本戦史』に記載された天正元年ではなく、天正二年という記載もみられる。この部分につけられた注記に、「北越家書」は『越佐史料 巻5』所収とあり。「北越軍談」は『上杉史料集 中』p127所収とあり、以下の資料を確認したところ、次のような記述があった。
『上杉史料集 中』p127(北越軍談 巻第35)
「右馬助は修理亮勝家が従父兄弟にて分際相応の走廻を勤、才覚の士なり。信長是に託せらるるに公の内容を承る」
『越佐史料 5』p220「右馬助ハ(柴田)修理亮カ従父兄弟。(略)稲葉ハ日々春日山ノ城館へ 出仕シ・・・」内容は上記資料と同じ。
「修理亮(しゅうりのしょう)勝家」は柴田勝家のことを指しているので、この記述から、右馬助は柴田勝家の従兄弟にあたる人物であったと考えられる。信長との関係について記述のある資料は見つからず。
稲葉彌助について
『日本戦史』や上記の調査資料の中に、柴田右馬助と並んで紹介されているが、その出自に関する記述は見あたらかった。「北越家書」「北越軍談」では「稲葉ハ日々春日山ノ城館へ出仕シ」とその行動のみが記されている。
- 事前調査事項
- NDC
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- 個人伝記 (289 9版)
- 日本史 (210 9版)
- 参考資料
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- 『資料と図録による 日本絵画史』(ブレーン出版 1981)
- 『佐渡―島社会の形成と文化』(地方史研究協議会 雄山閣出版 1977)
- 『上杉史料集 中』(井上鋭夫 新人物往来社 1969)
- 『越佐史料 5』(高橋義彦 大形村 1930)
- キーワード
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- 柴田 右馬助(シバタ ウマノスケ)
- 稲葉 彌助(イナバ ヤスケ)
- 人物-武士-戦国時代
- 史料
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000054593