レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2010年03月11日
- 登録日時
- 2011/02/02 17:07
- 更新日時
- 2011/03/23 09:11
- 管理番号
- 山形県-2009-0046
- 質問
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解決
三十三観音のひとつが山形市鉄砲町付近にあるらしい。その三十三観音の名前を知りたい。
- 回答
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三十三観音のうち、最上三十三観音については山形県関係文献目録に採録しています。
山形県立図書館ホームページ(http://10.100.34.26/newsite/)を開いていただき、山形県関係文献目録、項目編「ま」行 「最上三十三観音」をご覧ください。ここでは、郷土資料を中心に検索しました。
山形市鉄砲町付近の三十三観音は「六椹(むつくぬぎ)観音」であることが掲載されていました。最上三十三観音の第八番目の札所です。以下は資料⑦から寺院の概略を紹介します。
六椹山 宗福院(天台宗) 住所:山形市鉄砲町1丁目2-20 創立:延久3年(1071)10月 開山:行基菩薩 開基:慈覚大師
慈覚大師中興の霊場として有名。大師は観音堂の六隅に六根如是のためと塚を築いて椹を植え、一堂六岳を合わせて七高山如法寺宗福院とに来て称した。延久三年源頼義が陸奥の賊を征伐するためここ観世音を深く信仰し武運長久を祈願したが、この年賊乱を平定したので「陸奥苦抜」の音便相通ずるを妙とし、この地を六椹の里と称し山号を“六椹山”と号した。
その後山形城主最上義光は信仰深く堂塔を改築して四十四石の寺領を寄進し鎮城護国の霊場としたが、徳川幕府の代となっても同四十四石の朱印を賜った。
斯波頼宗の娘“光姫”は観音を信仰し、親の追善菩提のために城をぬけ出し、はじめて最上三十三札所の順拝因縁を作ったというが六椹山宗福院は最上札所第八番の霊場としてあげられた。
今回ご紹介した資料は、所蔵している資料の一部です。あわせて山形県関係文献目録をご覧ください。また、最上三十三観音札所別当会のホームページに各札所の紹介や写真が掲載されています。http://mogami33.com/guide/no08.html(H23.2.17確認)
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 寺院.僧職 (185 9版)
- 参考資料
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- 資料①最上三十三ヵ所 みちのくの観音霊場 古寺巡礼シリーズ/平幡良雄/1975(K185.9/ヒラ)
- 資料②山形県の三十三所/石井靖夫/2001(K185.9/イシ)
- 資料③出羽百観音 最上三十三観音 庄内三十三観音 置賜三十三観音/後藤博/2005(YK185.9/ゴト)
- 資料④最上三十三観音/最上三十三観音札所別当会監修/2009(K185.9/モガ)
- 資料⑤最上三十三観音霊場みちあんない/佐藤清敏/1984(YK185.9/サト)
- 資料⑥やまがたのお寺さん 第1集 山形市の一部と上山/山形テレビ編/1976(K185/ヤマ/1)
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資料⑦山形県の寺院/山形県寺院総覧編纂会編/1977(K185/ヤマ)
※( )は当館の請求記号です。
- キーワード
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- 三十三観音
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000077521