レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2009年06月17日
- 登録日時
- 2010/12/14 09:49
- 更新日時
- 2011/03/23 09:11
- 管理番号
- 山形県-2009-0027
- 質問
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解決
上山市高松の旧道付近に蔵王山碑、金峯山碑がある。この碑に刻まれている大蔵院について知りたい。
- 回答
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当館所蔵の資料から、下記の資料をご紹介します。
資料① P189~191 「高外除地並差紙反別を除申無年貢地之覚」(元禄十年-1697)が掲載されています。それによると、大蔵院が上湯町にあった事が確認できました。P287には大蔵院が西郷村から湯町に移転と記載されています。移転の理由として、三山参詣の行人が増加があげられています。また、P279~280に大蔵院古文書について記載されています。
資料② P130、141、334に記載があります。 P141には資料①と同じく、大蔵院が西郷高松村から湯町に移動してきたことが記載されています。
資料③ P11、13に記載があります。P13には上山領の山伏の修験寺院一覧があります。出典は「本末并分限御改帳」(延享4年-1747)と記載されています。大蔵院について、次のように記載されています。
院名:大藏院 所在地:湯町 明治2年神仏分離時の当主:水上大江 現主名(職業):空欄 備考:明治末期に絶家
資料④ P37~73「上山古事録」が掲載されており、文中に大蔵院についての記載が確認できます。また、P99~151掲載の「御作事日記」では、安永八己亥年九月廿八日 大蔵院大日堂建立の記載が確認できます。
資料⑤ P406~420 寺院の建立と変遷について記載されています。「高外除地並差紙反別を除申無年貢地之覚」元禄十年(1697)が掲載されており、記載の内容は資料①と同様です。続けて掲載されている「明治3年、上山藩内寺院明細表」(社寺取調類纂により作成)、「明治44年上山町寺院一覧表」(明治44年「上山町統計一班」により作成)、「昭和33年上山市内寺院一覧表」(昭和33年版「山形県宗教法人名簿」により作成)、「昭和44年上山市内寺院一覧表」(昭和44年番「山形県寺院大総覧」より作成)には大蔵院の記載は確認できませんでした。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
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蔵王山碑には、文政2年 百人組 大蔵院、金峯山碑には、文政12年 百人講中 大蔵院と刻まれていた。付近の人に聞いたが、大蔵院という寺はないようだ。
- NDC
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- 寺院.僧職 (185 9版)
- 参考資料
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- 資料①上山市史 上巻/上山市編/1980(K264.2/カミ/1)
- 資料②上山市史 中巻/上山市編/1984(K264.2/カミ/2)
- 資料③上山市史編集資料 第7集/上山市史編さん委員会編/1973(K264.2/カミ/7)
- 資料④上山市史編集資料 第20巻/上山市史編さん委員会編/1977(K264.2/カミ/20)
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資料⑤上山市史 別巻下/上山市編/1975(K264.2/カミ/別2)
※( )は当館の請求記号です。
- キーワード
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- 寺院
- 碑
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000075153