レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2006年07月15日
- 登録日時
- 2010/01/13 11:20
- 更新日時
- 2010/04/14 16:17
- 管理番号
- 22-04
- 質問
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解決
石手寺の縁起を記した「板書」の全文や写真、製作者について記載した資料はあるか。
- 回答
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*全文
【資料1】P748~749「石手寺刻板文書」
【資料2】P195~197「予州安養寺-河野通宣刻板-」
*写真
【資料3】P98~99「永禄刻板(河野通宣刻板)」:文章は板の裏表両面にあるが、写真は表のみ。
*製作者
通称「通宣刻板」と呼ばれている。【資料3】P120にも板書の説明として「永禄十年(一五六七)、河野通宣によって製作された」とある。
しかし【資料4】論文「石手寺と河野氏」(柳原多美雄)では「この刻板は河野通宣が書いたかどうかは問題」とし「永禄十年の刻板は、河野伊予守が石手寺の縁起を認めて署名しているが、その花押を見ると、通宣ではなく、その子の弾正少弼通直の花押と一致しているから、この刻板は弾正少弼通直が認めて同寺に与えたものであろう。そしてそれが後になって河野氏最後の通直が兵部大輔・伊予守であったから、混同したものであろう。先輩の諸先生は弾正少弼通直と最後の通直を混同し、通直と通宣とを刻る時に誤ったものだと述べておられるが、それが本当かもしれない」と記述している。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
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『四国遍路のあゆみ』(愛媛県生涯学習センター、2001年)で板書を知った。
- NDC
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- 各宗 (188 9版)
- 参考資料
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- 【資料1】『松山市史料集 第2巻』(松山市役所、1987)
- 【資料2】『熊野山石手寺』(北川 淳一郎、石手寺、1962)
- 【資料3】『熊野山石手寺』(石手寺、1981)
- 【資料4】雑誌「伊予史談 第175・176合併号」(伊予史談会、1965.3)
- キーワード
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- 板書
- 安養寺(現・石手寺)
- 河野通宣(こうの みちのぶ)
- 河野通直(こうの みちなお)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000061892