レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2015年06月05日
- 登録日時
- 2015/12/20 10:08
- 更新日時
- 2015/12/20 13:47
- 管理番号
- 千県中千葉-2015-18
- 質問
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解決
戦後千葉県下にあった中学校夜間学級に関して
『うどん学校奈良夜間中学創設記録 金達寿の夜間小学校の回想 奈良夜間中学生紳士録』(岩井好子著 昭和52年 盛書房)の「戦後(昭和22年)の夜間中学県別一覧」の「千葉」の欄には、「銚子中学」という記述がある(p280)がこの中学校の名称、所在地、設置されていたのはいつかが知りたい。
- 回答
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【資料1】『銚子市史』p678-695「教育の変遷」には明治維新後から昭和26年程までの教育機関について記載されています。「4.中学校・高等学校」(p688-692)によると公立の中学校のうち夜間のものは該当がありません。
唯一、明治34年ヤマサ醤油醸造浜口家創設の「私立浜口家醸造部夜学校」があり、それは醸造に従事する職人の教育を目的とし、当初30名に過ぎなかった生徒数が、明治39年には校舎を新築し、百余名を三学級に編成して本格的な授業を開始するまでに盛況であった、と記載されています。
そして、この「私立浜口家醸造部夜学校」が素地となり大正13年に同家が財団法人公正会を設立し、「公正学院」となり、さらに「公正商業学校」となっています。公正商業学校については、同『銚子市史』p664公正会の項「公正商業学校の経営」に「当時の甲種実業学校と同一資格で上級学校進学難を緩和するのみならず、夜間就学する勤労青年を対象とするため、これら昼間定時制商業学校に通学出来得ないものにとっては唯一無二の向学の途であった」と記載されています。
この「公正学院」「公正商業学校」については、【資料2】『公正会資料集』に詳細に記載されています。公正学院の開校は,大正15年4月(p9)、所在地については、千葉県海上郡銚子町イノ四百五拾八番地(現在の「銚子市新生町2丁目1番5」(p1)で、「売買契約書」も見ることができます(p17)。
「公正商業学校」の開校と廃校については、【資料3】『続銚子市史 1昭和前期』p302によると、夜間中学の「公正学院」を開設していますが、「中学校令」に基づく正規の中学校ではなかったため、実業学校令に基づく甲種商業学校に昇格させるため、「公正学院」は昭和16年3月廃校、昭和16年4月から「公正商業学校」を開校(p307-308)。また、p720年表によると、昭和19(1944)年3月に「公正商業学校、19年度分の生徒募集中止」とあり、【資料2】『公正会資料集』p25には、「本校は、第五回まで卒業生を送り出したが、昭和22(1949)年3月、最後の四年生卒業とともに廃校になった」ことが記載されています。
- 回答プロセス
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『千葉県教育史』『千葉県教育百年史』には記載がなかったので、地域史から調査を進めた。
この他、調査したが記載のなかった資料。
『學校名簿』(千葉県教育委員会事務局調査課 1949)
『千葉県学校便覧 昭和32年度』(房総教材研究社 1957)
- 事前調査事項
- NDC
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- 関東地方 (213 9版)
- 教育 (370 9版)
- 参考資料
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- 【資料1】『銚子市史』(島田隆 銚子 1956)(9200374924)
- 【資料2】『公正会資料集』(銚子市公正図書館 2006)(0200844980)
- 【資料3】『続銚子市史1昭和前期』(銚子市 1983)(9200288808)
- キーワード
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- 夜間中学校
- 千葉県-銚子市
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000186049