レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2012年11月18日
- 登録日時
- 2012/12/27 13:29
- 更新日時
- 2012/12/27 13:29
- 管理番号
- tr266
- 質問
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解決
天正~元和期に、江戸の代官を務めた「中野七蔵重吉」について、現在の栃木県内における事績について記載された資料があるか。
- 回答
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『江戸幕府代官履歴辞典』(西沢淳男/編 岩田書院 2001)p395に「中野七蔵重吉」の項があります。赴任歴についての記載は以下のとおりです。
1 国名:関東 陣屋:江戸? 赴任年:天正18? 離任年:元和5
2 国名:遠江 陣屋:中泉1 赴任年:元和5 離任年:寛永1 関東にも支配所
「中野七蔵重吉」と下野との関わりについては、記述のある資料が確認できませんでした。なお、以下の資料について、上記の期間(1590-1624)を確認いたしました。
・『栃木県史 通史編 4.近世(1)』(栃木県史編さん委員会/編 栃木県 1981)
天正18年(1590)~18世紀前後(元禄・享保期)の内容が収録されています。p23に、「下野一国の支配関係は、領主の種別においては、幕領(天領)・大名領・旗本領・寺社領に区別される」とあるので、代官による検地等が行われた可能性はありますが、お尋ねの人物が関わったかどうかについては、残念ながら確認できませんでした。なお、巻末の索引には、「中野七蔵重吉」の項はありません。
・『栃木県史 通史編 3.中世』(栃木県史編さん委員会/編 栃木県 1984)
巻末の索引に、「中野七蔵重吉」の項はありませんでした。
・『下野歴史 No.57』(下野歴史学会/編 下野歴史学会 1991)
徳田浩淳「下野支配・幕府代官編年氏名(文禄2‐慶応4)」(p12-29)に、下野国内で見られる代官氏名が列挙されていますが、「中野七蔵重吉」の名前は記載がありませんでした。
・『江戸幕府下野国代官』(村上直/著 新人物往来社 1970)
1700年代~の記述でした。
・『栃木県史研究 16・17合併号』(栃木県史編さん専門委員会/編 栃木県教育委員会 1979)
須永昭「寛政期における幕府代官の地方支配の展開」(p16-50)が収録されていますが、関連する記述は確認できませんでした。
・『織豊政権と東国社会 「惣無事令」論を越えて』(竹井英文/著 吉川弘文館 2012)
「天正末期下野国の政治情勢と豊臣政権」が収録されていますが、「中野七蔵重吉」の名前は記載がありませんでした。
・『近世国家の支配構造』(林睦朗先生還暦記念会/編 雄山閣出版 1986)
佐藤孝之「近世初期の遠州支配と中泉代官」(p45-72)の「三 徳川頼宣移封後の中泉代官」(p62-66)に、「中野七蔵重吉」に関する記述があります。ここで、中野氏の業績について「伊豆・上総」出の検地奉行、「美濃」の支配、「甲州検地」「遠州検地」、「信州松本」の支配、「上州及び房州」の検地、「遠州」支配、と挙げられていますが、下野についての記述は確認できませんでした。
・『江戸幕府大事典』(大石学/編 吉川弘文館 2009)
p735-736「中泉陣屋」に「中野重吉」の名前があります。巻末の索引でも、「中野重吉」で確認できるのは、この中泉陣屋のみです。
・『寛政重修諸家譜 第13巻 新訂版』(続群書類従完成会/編 続群書類従完成会 1965)
p339に「重吉」の名がありますが、人物の説明部分に下野に関する記載はありません。
・『江戸幕府代官史料 県令集覧』(村上直/編 荒川秀俊/編 吉川弘文館 1975)
記載が天保~慶応のため、時代が該当しませんでした。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 個人伝記 (289 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- 中野七蔵重吉
- 代官
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000117532