レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2009年10月16日
- 登録日時
- 2012/05/06 15:37
- 更新日時
- 2012/12/26 11:07
- 管理番号
- 新県図-01199
- 質問
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解決
『新潟義民涌井藤四郎之実伝』の著者である小林寅八と講談師の正流斎鶴窓について知りたい。
- 回答
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同書の奥付に「著作兼発行人 (正流斎鶴窓事)小林寅八」とあります。したがって巻頭にある「新潟市在住講談師 正流斎鶴窓」と同一人物と思われます。芸能関係では伝統的に襲名が行なわれますが、「正流斎鶴窓」として最も有名なのが2代目旭堂南陵のため、インターネット情報ではこの人物の初名ということしか見つかりません。「旭堂南陵」となる前の「正流斎鶴窓」の名を小林寅八が受け継いだと考えるのが自然です(もしかしたら南陵と小林の間にも誰かいるかもしれません)。
小林寅八が正流斎鶴窓と同一人物であることについての記述がないか調べましたが、確認できませんでした。
以下、この著作に関連したことを補足します。
『新潟義民涌井藤四郎之実伝』発行の時期は、ちょうど講談の速記をまねた書き講談本が出始めた頃ですので、この本もその類かと思われましたが、浦野左右太という速記者がいること、作業をしている両者の口絵写真があることから、講談を起こしたものと判断できます。
井上慶隆/執筆「新潟新聞に見る竹内式部と涌井藤四郎」(『郷土新潟』48号所収)に、この講談を実際に聞いた人によるその様子が記されています。
「この実伝の発行月日より早く、大正五年一月三十日付の「新潟新聞」に、山口燕甫の署名入りで「義民涌井英敏の伝を聴く」という記事が載った。藤四郎のことが「星移り年換ると共に世に忘れられた」と慨嘆、「斯る場合に、我鶴窓氏、涌井藤四郎の伝を読むの広告を見たので、初日二十日より謹聴して居る一人である、流石は専門家だ、其用意の周到、研究の緻密、唯々感服の外ない」と講談を聞いての感想を記す。」
この『新潟義民涌井藤四郎之実伝』は、「新潟義民伝」に影響を受けたらしいとあり、その「新潟義民伝」に関する記述もあります。
「同紙(「新潟新聞」)で画期的だったのは、明治三十七年十二月二日から翌年二月二十六日まで八〇回にわたって連載された松林蟻円演、やなぎ補「新潟義民伝」である。」
また、「新潟新聞に見る竹内式部と涌井藤四郎」では、「東北日報」昭和11年の記事を引用し、次のように述べています。
「ここでは「湧(ママ)井義民伝」と出ており、昭和十一年(一九三六)で「三十七年目」というのだから、「新潟新聞」明治三十七年(一九〇四)に連載の「新潟義民伝」とは別のようでもあるが、口演の松林蟻円や登場人物などはよく符号する。当時の新聞関係者にはまだ江戸の戯作者気質が残っていて、誤記・誤植もさして意に介しないから、おそらく「湧井義民伝」は「新潟義民伝」のことで、これに補した「やなぎ」は浦野左右太の戯名と考えていいだろう。」
浦野左右太は『新潟義民涌井藤四郎之実伝』冒頭には新潟毎日新聞記者とあります。明治37年時点では「新潟新聞」に連載しています。この新聞の違いについては判明しませんが、新聞連載の「新潟義民伝」を補作していることと同様に、『新潟義民涌井藤四郎之実伝』でも補作の可能性はあります。
ちなみに浦野左右太は『新潟古老雑話』(鏡淵九六郎/編 新潟温古会 1933)の発行者です。新潟温古会は高志社と姉妹のような団体で、浦野は高志社の雑誌『高志路』に数編寄稿しています。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 個人伝記 (289 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- 正流斎鶴窓
- 明和騒動
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000105619