レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013年02月14日
- 登録日時
- 2013/04/07 13:13
- 更新日時
- 2013/04/14 16:20
- 管理番号
- 20130214-2
- 質問
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解決
1、野田山墓所の中川光重と蕭の墓所の場所を知りたい。2、武蔵辻にあった中川家の屋敷場所を知りたい。
- 回答
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1、野田山墓所の中川重光と蕭姫の墓所は、中割地区の区画番号1574番だと思われる。
2、中川家の屋敷の位置は、現在の武蔵町と高岡町にまたがっており、武蔵辻からやや離れている。上堤町の交差点から金沢市立玉川図書館へとはしる道が、敷地のほぼ中央を貫いている。付近に松ヶ枝緑地がある。
- 回答プロセス
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1、『野田山・加賀藩主前田家墓所調査報告書』金沢市 2008(K280.9/1008)p101に、瑞雲院(蕭姫)と瑞祥院(中川光重)の石廟と宝篋院塔の位置を示した図があり、墓所の中割地区の中ごろ左寄りとなっている。(文中には「前田家墓所より北約50m下方に位置する、上級家臣の墓域に所在する中川光重家墓地」(p102)、「中割地区の標高80m台にあり、面積は東西約42m、南北約20mを測る」(同)とあるが、番号は書かれていない)
これを『野田山墓地明細図』金沢市 1982(K280.9/11)に当てはめてみると、索引番号34と43にまたがって、「1574中川」がある。また、その右隣に「1588中川」があるが、面積が狭いことと、「北國新聞」昭和58年4月4日の記事「レポート野田山から 46 中川長輝」に、「初代光重の妻は前田利家の二女蕭姫。七代の長輝から定火消し役(中略)野田山墓地「中割1574」」とあることから、「1574中川」が該当すると考える。
2、「金沢城研究」第8号 石川県金沢城研究所(平成22年3月)収録の「解読した「寛文七年金沢図」の人名データ」p17に、「中川八郎右衛門」という、石高5000石の人物が載っていた。
『石川県姓氏歴史人物大辞典』角川書店 1998(K288/1001)p372「中川」の項を見ると、「重政の嫡子武蔵守光重は前田利家の娘を妻として利家に仕え、2万3000石となり、宗半と称した。(中略)光忠の弟八郎右衛門重勝は5000石、あるいは4985石」とあることから、前述の「中川八郎右衛門」が中川重光の子孫と判断した。
「金沢城研究」第8号掲載の「図3「寛文七年金沢図」の地区・街区割」と、『金沢・北陸の城下町』平凡社 1995(K290.3/327)p14-15「大手町から武蔵ヶ辻周辺」と、現在の地図を比較して位置を割り出した。
- 事前調査事項
- NDC
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- 伝記 (28 9版)
- 参考資料
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- 野田山・加賀藩主前田家墓所調査報告書. 金沢市, 2008. p. p101,102 (当館請求記号 K280.9/1008)
- 野田山墓地明細図. 金沢市, 1982. p. 索引番号34,43 (当館請求記号 K280.9/11)
- 「解読した「寛文七年金沢図」の人名データ」. 石川県金沢城研究所, 2010. 「金沢城研究」第8号
- 石川県姓氏歴史人物大辞典. 角川書店, 1998. (当館請求記号 K288/1001)
- 金沢・北陸の城下町. 平凡社, 1995. (当館請求記号 K290.3/327)
- キーワード
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- 野田山墓所
- 中川光重
- 蕭姫
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000130093