ご質問の官職についていくつかの文献を紹介いたします。六衛府、近衛府、馬寮などについても左右がありますが、違いについて書かれたものは見当たりません。
左大臣と右大臣の記述について:『古事類苑 官位部 1』p369-「令制官職3太政官上:太政官の長官を太政大臣、左大臣、右大臣と為し、是を三公と称す...左大臣は、太政大臣の下に居りて政務を執るものにて、之を一の上と称す。右大臣は左大臣と相並びて事を行うものにて、太政大臣あらざるときは、右大臣を以て一の上と称す」とあります。『日本史辞典』角川書店の右大臣の項に「太政大臣・左大臣に次ぐ、地位で以上を三公という。」とあり、左大臣の次であると書かれています。
また『上代官職制度の研究』p161に「太政官の長官は左右の大臣である。これは唐の尚書省の左右の僕射に倣ったものであろう」とあります。『唐令拾遺』p127で「日本養老職員令」と「唐六典巻一尚書都省條」を比較していますが、とてもよく似ております。
『世界大百科事典27』の「左と右」の項に「中国の場合、<左を尚(たっと)び右を尚ぶ>といわれるように、左右のどちらを上位としたかは時代や王朝によって異なった。職官の場合は、すでに周の時代に尚左であったらしいが、戦国・秦・両漢の時代になると職官を含めすべてのものが尚右に傾いた。....六朝時代には、職官はもとの尚左に戻り、唐時代には尚左をよりいっそう広げた.....」とあります。また日本では「日本の上代においては、左を上位とする<尚左>の習慣があったと一般に説かれてきた。....第1の座席を左座ということ、左大臣が右大臣より上位であること埴輪によくみられるように左おくみで着物を着たことなどがあげられる。しかし...尚右の文化の導入も見られる。左大臣右大臣が登場するのは、645年であるし、このほか左右のつく官名が多く現れだすのは、大宝律令(702)以降のことにすぎない。...日本では、本末、大小、上下などに比べて、左右対比の思想は比較的新しく意識にのぼってきたようである。...直ちに上代には左が右より尊重されていたとはいいがたい。」とあります。