レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 登録日時
- 2008/03/11 16:30
- 更新日時
- 2008/12/16 15:30
- 管理番号
- 334
- 質問
-
解決
戦前の金沢での時報について。金沢の午砲(大砲の空砲で正午を知らせる)は、大正12年3月31日を最後に廃止され、翌4月1日からモーターサイレンに代わっている。この午砲はいつ、誰が、どこで始めたのか。
- 回答
-
北国新聞をたどりますと、大正11年陸軍による全国的な軍縮で午砲が廃止されることになったものの、金沢市の要請によりしばらく続ける、という経過のようです。以下、関係記事です。
大正11.8.10 陸軍の軍縮による午砲の廃止
14日限りで午砲を廃止
11 軍縮整理発表
金沢城本丸の午砲写真(金沢城にあったらしい)
12 金沢市の善後策
13 午砲の代わりに電気汽笛を市が考慮
17 市になんらかの施設ができるまで、午砲の継続を
第九師団よりあった
12.3.28 金沢庁舎上の報時機、午砲廃止
4. 1 報時機と午砲の写真
また、『金沢の百年』に年表形式で簡単に経過が載っています。
- 回答プロセス
-
金沢市・陸軍の歴史資料をさがす。
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本 (291 9版)
- 参考資料
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- 金沢の百年 大正・昭和編 市史年表 金沢市史編さん室/編 1967 金沢市
- キーワード
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- 時報
- 午報
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000042389