レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 登録日時
- 2015/12/03 11:01
- 更新日時
- 2015/12/04 14:32
- 管理番号
- 091
- 質問
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解決
尼崎市東大物町1丁目にある「大物くづれ戦跡」碑の由来を知りたい。
- 回答
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周辺村と合併する以前の旧尼崎市域(現中央地区の区域)の石碑類は、昭和6年(1931)に刊行された『尼崎志』第2篇に「尼崎金石文年表」としてまとめられています。これを見ると、尼崎青年団・在郷軍人会・婦人会・教育会が共同して、昭和3年に昭和御大典記念の石碑16基を建立しています。いずれも当時の市域の史跡を顕彰するもので、そのひとつが「大物くづれ戦跡」碑です。
「大物崩れ」というのは、享禄4年(1531)6月、室町幕府の有力者である細川高国と細川晴元・三好元長らの戦いにおける高国側の敗北を言います。現大阪市域の天王寺・阿倍野から野里川(中津川)にかけて戦闘が繰り広げられ、高国は尼崎方面に敗走しますが捕らえられ、大物(だいもつ)の廣徳寺で自刃したことから「大物崩れ」と呼ばれました。
なお、現尼崎市域に残る石碑など石造遺品について調べる場合、たとえば宝篋印塔・五輪塔といった中世の石造美術品については『尼崎市史』第10巻、道標については尼崎郷土史研究会発行の『尼崎のみちしるべ』『尼崎の道標』と、対象となる石造遺物の種類に応じたいくつかの参考文献があります。
- 回答プロセス
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1 「大物くづれ戦跡」碑について記録する文献
◆尼崎市編・発行『尼崎志』第2篇、昭和6年
発行当時の市域に残る石碑類について、年紀・所在地・碑文などを記録する「尼崎金石文年表」を掲載している。
2 現尼崎市域に残る石造遺品について調べる場合の参考文献
◆『尼崎市史』第10巻、別編文化財・民俗、尼崎市、昭和49年
第2章「尼崎の石造美術」に、中世の石造美術品を網羅的に調査・記録している。
◆『尼崎のみちしるべ』尼崎郷土史研究会、昭和55年
◆『尼崎の道標』尼崎郷土史研究会、平成24年
現尼崎市域に残る道標について、それぞれの発行当時の状況を網羅的に調査・記録している。
- 事前調査事項
- NDC
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- 地理.地誌.紀行 (29)
- 参考資料
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尼崎市/編, 尼崎志 第2篇 尼崎市, 1931.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I001506121-00 (当館請求記号 219/A/ア-2) -
尼崎市/編,尼崎市史 第10巻別編,尼崎市,1974
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I014314754-00 (当館請求記号 219/A/ア-10) -
岡田務編,尼崎のみちしるべ,尼崎郷土史研究会,1980
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I046128314-00 (当館請求記号 290/A/ア) -
歩いて訪ねてみちしるべ尼崎の道標,尼崎郷土史研究会,2012
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I023599565-00 (当館請求記号 290/A/ア)
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尼崎市/編, 尼崎志 第2篇 尼崎市, 1931.
- キーワード
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- 大物崩れ
- 記念碑
- 尼崎
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人 団体
- 登録番号
- 1000185002