レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2012/02/09
- 登録日時
- 2012/03/22 02:01
- 更新日時
- 2015/08/05 15:50
- 管理番号
- 6000006921
- 質問
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解決
一休禅師の子どもの墓が豊中にあると聞いた。このことについてわかる資料はあるか。
- 回答
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豊中市中桜塚にある瑞輪寺(ずいりんじ)境内にある僧塚(そうづか)が、一休宗純の子という説のある紹偵(しょうてい、紹禎とも)の墓と伝えられている。『大阪墓碑人物事典』(東方出版)『とよなか歴史・文化財ガイドブック』(豊中市教育委員会)『続 千里の歴史と伝統(近郊編)』(大阪府千里センター)等に記載あり。
- 回答プロセス
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『大阪墓碑人物事典』(東方出版)で豊中市内の墓碑を調べる。p211の瑞輪寺の項に、(伝)岐翁紹禎(きおうしょうてい)の墓について載っていた。
また豊中市関連の資料を探し、『とよなか歴史・文化財ガイドブック』の瑞輪寺の項に、紹偵の墓と伝承のある僧塚について詳しく載っていた。もとは大石塚古墳の南東にあり、明治時代に現在の場所に移転したとのこと。『豊中の伝説と昔話』(鹿島友治)p9の「僧塚」の項および『わが町の歴史 豊中』(文一総合出版)p46の「寺院の建立」の項にも、一休宗純の子についてふれた記述あり(『わが町の歴史 豊中』では、「紹貞」)。
なお『続 千里の歴史と伝統(近郊編)』(大阪府千里センター)p195「紹偵師は一休さんの実子?!説」が岐翁紹偵の生まれについて最も詳しく、一休宗純30歳から33歳ごろの伝承が空白であることから、当時桜塚の瑞輪寺に滞在し、その際に設けた子どもが紹偵であるという説について紹介している。徳川光圀等が編纂した漢文の歴史書である『大日本史』にその旨記載があるとのこと。
なお『日本人名大事典2 カ-コ』(平凡社)p256「キオーショーテイ」の項および『大阪府史 巻之五』(清文堂)和泉国堺市南荘東部のp144「岐翁の居址」には、一休禅師の弟子とはあるが、子であるという記述はなかった。
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (210 9版)
- 参考資料
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- 『大阪墓碑人物事典』近松 誉文/著(東方出版)
- 『とよなか歴史・文化財ガイドブック』豊中市教育委員会生涯学習推進室地域教育振興課/編集(豊中市教育委員会生涯学習推進室地域教育振興課)
- 『豊中の伝説と昔話』鹿島 友治/著(鹿島 友治)
- 『わが町の歴史 豊中』小林 茂/著(文一総合出版)
- 『千里の歴史と伝統 続』北田 順三/文と写真(大阪府千里センター)
- 『日本人名大事典2』(平凡社)
- 『大阪府全志 巻之5』井上 正雄/著(清文堂)
- 『桜塚一休』阪田 金竜/著(豊中 瑞輪時)
- キーワード
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- 岐翁紹偵(キオウショウテイ)
- 墓碑
- 歴史
- 一休宗純(イッキュウソウジュン)
- 豊中
- 瑞輪寺(ズイリンジ)
- 伝承
- 僧塚(ソウヅカ)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 一般
- 登録番号
- 1000104081