レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2008年04月17日
- 登録日時
- 2008/05/08 14:58
- 更新日時
- 2008/05/08 14:58
- 管理番号
- 福井県図-20080417
- 質問
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解決
佐賀武雄出身の岩谷玄良が大野藩洋学館に入塾した時期を知りたい。また、洋学館での、岩谷玄良の事跡が伝わっていないか。
- 回答
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「大野洋学館入学人名録」(『大野市史』藩政資料編2 大野市 昭和59年刊 H236/O4/1-5 p236~237に収録、ほか『土井利忠公と大野藩』 土井利忠公百年祭奉賛会 昭和41年刊 H237/D/1 『大野藩と洋学』岩治勇一 昭和59年刊 H402/I/3 p42~43に同じもの収録)に入学は、安政3年10月22日である旨記載されている。(れきはくの地域蘭学者門人帳人名データベースの記述は誤植)事跡については確認できませんでした。
- 回答プロセス
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・まずは、『福井県史』通史編4巻の記述を確認しようと、福井県文書館HPのデジタル歴史情報フリーワード検索を「岩谷玄良」で検索するが、ヒットせず。・『福井県史』通史編4を直接確認すると、p718からの、項目名:「大野藩と蘭学」のp722(引用以下)に質問者の典拠であろう記述があるが(下に抜粋)、ここからは岩谷玄良が入塾した時期については確認できない。「各藩ヨリ大野洋学館へ入学人名録」(土井家文書)によると、安政二年から五年までの間に、丸岡・勝山・大聖寺・府中などの近藩はもとより、肥前佐賀藩や豊前中津藩など全国各地から留学生が集まってきている。・歴博の「地域蘭学者門人帳人名データベース」の記述を確認する岩谷玄良 肥前鍋島藩士 安政3年10月24日に大野洋学館に入門 出典は『土井利忠公と大野藩』とされている。・自館OPACをキーワード「岩谷玄良」、自館調査相談DBを「岩谷玄良」で検索→ヒットせず。・自館OPACをキーワード「洋学館」で検索してヒットした文献をみる。・H236、H402の書架をブラウジング
- 事前調査事項
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『福井県史』通史編4には、入塾時期は安政2年から5年までの間とある。歴博の「地域蘭学者門人帳人名データベース」では入門が安政3年10月24日となっている。
- NDC
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- 個人伝記 (289 8版)
- 参考資料
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- 『福井県の教育史』三上一夫著 思文閣出版 昭和60年 p284に「幕末大野藩への遊学者一覧」あり
- 『緒方洪庵伝』岩波書店 昭和38年 289/O11/2 p183~掲載の「適々齋塾姓名録」
- キーワード
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- 岩谷玄良
- 洋学塾
- 大野藩
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000044024