レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2012年02月15日
- 登録日時
- 2012/02/23 10:43
- 更新日時
- 2012/03/02 08:53
- 管理番号
- 2009-0056
- 質問
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解決
山形藩の医学史が記述されている資料はあるか。「山形市史」は確認済みです。
- 回答
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当館所蔵の資料の中から下記の資料をご紹介します。
資料①のP217~229に、「江戸時代の医学」「長沢理玄と種痘」「産家教草」「阿部三省」「渋江太亮」「細谷風翁・同度外」「平次郎解体図」「蘭学事始と山形」「洋学者見立番付」「洋学入門帳」について記載がありますが、内容はすでにご確認されている『山形市史』と同じものです。
資料②のP14~27に、「山形県の蘭医」「江戸時代の地方医界」「長沢理玄と種痘」「産家教草」「細谷風翁・米山・度外」について記載があります。「江戸時代の地方医界」「長沢理玄と種痘」「産家教草」に関する記載が『山形市史』の内容と重なります。
資料③は、『山形市史』でも紹介されていた長沢理玄とその父周玄について記された資料です。主に理玄の種痘事業や種痘の碑について記載されていますが、そのなかの「周玄及理玄ノ門人」に「細谷良珉」の名があり、内科医である旨記されています。
資料④のP108~109には、江戸後期から幕末にかけての、山形県関係者の蘭学修学状況が記されています。山形出身では杉田玄白の門弟として「若尾宗順」、緒方洪庵の門弟として「細谷米山」「松岡理水」の名がありました。
資料⑤のP951~955に、最上家家臣の出の伊良子道牛(1671~1728)が長崎に出て、カスパル流外科と蘭学を学び、のち、伊良子流外科(漢方・蘭方の折衷医学)をおこし、瘍の手術で名声を博したとあります。また、「蘭学を志した人々」として、資料④の記述と同様、杉田玄白門下に「若尾宗順」、緒方洪庵門下に「細谷米山」「松岡理水」の名があり、さらに、蘭学で業績をあげた代表的人物の1人として「長沢理玄」が挙げられています。
資料⑥のP294~306に、「山形県における洋学の育成と展開」と題する論文があり、寛政年間につくられた「洋学者番附」に「若尾宗順」の名があり、適塾に学んだ者として「細谷米山」「松岡理水」の名があることや桑田立斎の門にて「長沢理玄」が山形の人々に種痘を行ったことなどが記載されています。
なお、長沢理玄に関する文献については当館のホームぺージ(http://www.lib.pref.yamagata.jp/)を開いていただき、山形県関係文献目録 人物編「な」行に「長沢理玄」を採録していますので、あわせてご覧ください。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
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「山形市史」
- NDC
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- 日本史 (210 9版)
- 医学 (490 9版)
- 参考資料
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- 資料①やまがた明治文化史 後藤嘉一著作集 第三巻/後藤嘉一/1979(YK209/ゴト/3)
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資料②済生館史 /後藤嘉一/1966(YK498.19/ゴト)
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資料③長澤理玄 /遠山椿吉/1918(YK289/ナガ)
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資料④山形県教育史 通史編 上巻 /山形県教育委員会編/1991(K372/ヤマ)
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資料⑤山形県史 第三巻 近世編 下 /山形県編/1987(K209/ヤマ/3)
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資料⑥山形県の考古と歴史 柏倉亮吉教授還暦記念論文集/柏倉亮吉教授還暦記念会編/1967(YK209/カシ)
※( )は当館の請求記号です。
- キーワード
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- 洋学
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000102134