レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2011年09月14日
- 登録日時
- 2012/01/21 17:04
- 更新日時
- 2012/06/05 10:08
- 管理番号
- 埼浦-2011-085
- 質問
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解決
「赤山渋」は川口市の伝統的な特産物であると聞いているが、さいたま市や他の市域にも存在したのか知りたい。
- 回答
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下記の資料を紹介した。
『埼玉大百科 1』
p35「赤山柿渋」
「特に武蔵国足立郡南部領・赤山領は特産地として知られ」とあり。
自館目録を〈赤山渋〉で検索する。
『赤山渋生産用具及び渋小屋 埼玉県指定有形民俗文化財 民俗工芸収蔵資料目録』
p1「赤山渋生産用具及び渋小屋」の概要
「「赤山渋生産用具及び渋小屋」は、旧赤山領に所在する7軒の旧柿渋生産農家から収集されたもの」とあり、下記の市域の生産農家が記載されている。
川口市西新井、浦和市代沢、大宮市方柳、浦和市上野田、大宮市御蔵、大宮市中川
『埼玉県立民俗文化センター研究紀要 創刊号』
p81-114「赤山渋の生産と流通」(稲見聖子)
p87「赤山渋の生産」
「「赤山渋」は、埼玉県南部の大宮台地周辺で生産された柿渋の総称である。」とあり。
p89「赤山渋の生産地と生産者」
「赤山渋は、大宮台地の南部に位置する川口、浦和、大宮、岩槻の四市が境を接する地域で生産された。」
「柿渋生産者は、一般に「渋屋」と称される。(中略)大宮市内では確認できただけでも、片柳・山・中川・中野・御蔵・染谷・大谷・蓮沼・大和田。宮下・膝子・深作・櫛引・本郷に存在する。」
p90「渋屋分布図」
p91表1「柿渋生産地『武蔵国郡村誌』より作成」
足立郡赤山領の他に、戸田領、安行領、木崎領、三(見)沼領、南部領、吉野領、大宮領、埼玉郡岩槻領がある。
『埼玉県立民俗文化センター研究紀要 2』
p97-126「赤山渋の生産-浦和市上野田の事例-」(稲見聖子)
『埼玉民俗 18』
p141-143(ビデオ製作紹介)『赤山渋』」(高橋寛司)
「江戸時代に赤山領と称していた辺り(現、川口市赤山付近)を中心に、大宮台地上の村々で広く生産された商品作物であった。」とあり。
また、赤山渋を最後まで製造していた浦和市上野田の製造者の記述あり。
《埼玉雑索》を〈赤山渋〉で検索する。
『埼玉地方史 7』
p50-51「大宮台地における赤山渋について」(秋葉一男)
『埼玉県史研究 2』
p18-36「見沼周辺における商品生産「赤山渋の訴訟文書」」(秋葉一男)
「赤山渋は、足立郡赤山領、南部領、見沼領を中心に見沼周辺諸村で生産された柿渋である。」とあり。
p19「柿渋生産地」地図あり。
市史等の調査
『大宮市史 5 民俗・文化財編』
p111-114「柿渋」
「片柳・七里地区は赤山渋の名産地として江戸時代から知られている。」とあり。
『浦和の歴史と文化を知る本』
p92「赤山渋」
「赤山渋の生産範囲は、大宮台地のうちでも見沼の周辺である。」
「浦和市域では、上野田の萩原家が最後まで柿渋を作っていた。」等の記述あり。
- 回答プロセス
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その他調査済み資料
『浦和市史 民俗』(浦和市 1980)
『与野市史 民俗編』(与野市 1980)
『岩槻市史 民俗史料編』(岩槻市市史編さん室 1984)
- 事前調査事項
- NDC
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- 衣食住の習俗 (383 9版)
- 貴重書.郷土資料.その他の特別コレクション (090 9版)
- 参考資料
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- 『埼玉大百科 1』(埼玉新聞社 1974)
- 『赤山渋生産用具及び渋小屋 埼玉県指定有形民俗文化財 民俗工芸収蔵資料目録』(埼玉県立民俗文化センター) 2005)
- 『埼玉県立民俗文化センター研究紀要 創刊号』(埼玉県立民俗文化センター 1984)
- 『埼玉県立民俗文化センター研究紀要 2』(埼玉県立民俗文化センター 1985)
- 『埼玉民俗 18』(埼玉民俗の会 1993)
- 『埼玉地方史 7』(埼玉県地方史研究会 1979)
- 『埼玉県史研究 2』(埼玉県 1978)
- 『大宮市史 5 民俗・文化財編』(大宮市 1969)
- 『浦和の歴史と文化を知る本』(青木義脩著 さきたま出版会 1982)
- キーワード
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- 赤山渋
- 埼玉県-民俗
- さいたま市-民俗
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000100466