レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2010
- 登録日時
- 2013/05/08 13:29
- 更新日時
- 2016/11/29 14:47
- 管理番号
- 市民2010-事02
- 質問
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解決
「仙台大新聞」という新聞が、大正末から昭和のはじめにかけて発行されていたというのは本当か?
『血脈』上巻(佐藤愛子/著 文芸春秋 2001年)の中に出てきたのだが。
- 回答
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『河北新報の百年』p.180に「日刊大仙台」についての記述があり、昭和3年(1928年)に創刊され、のちに「仙台日日」と合併したとある。
大正から昭和の初期にかけて、東北各地で多くの新聞が誕生した。
宮城県の場合、明治に創刊された「東北新聞」や「奥羽新聞」はすでに廃刊し、「仙台日日新聞」が残っていた。大正4年(1915年)に「東華新聞」、10年(1921年)に政党紙の「新東北」、15年(1926年)に夕刊紙の「宮城毎日」が出た。昭和3年(1928年)には、「日刊大仙台」や「奥州日報」が出された。
その他宮城県各地で地域を地盤にした新聞が出ており、塩釜の「陸羽日報」、大河原の「仙南日日」、古川の「仙北日日」、石巻の「石巻日日」、「宮城新聞」、「日刊宮城」、気仙沼の「大気新聞」、「気仙沼日報」がある。
- 回答プロセス
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まず、小説『血脈』上巻第4章のなかで、サトウハチローの弟・久の勤め先として、「仙台大新聞」ではなく「日刊大仙台」という新聞の名前を確認した。
『仙台市史』、『宮城県百科事典』等をあたるが確認できなかった。
そこで、仙台の新聞の歴史は河北新報の歴史にも通じると考え、『河北新報の百年』『河北新報の生誕前後』p.114を見たら記述があった。
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 『河北新報の百年』(創刊百周年記念事業委員会/編集 河北新報社 1997年)
- 『河北新報の生誕前後』(河北新報紙齢三万号記念事業委員会/編 河北新報社 1980年)
- キーワード
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- 仙台
- 新聞
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 所蔵調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000131076