レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021年10月7日
- 登録日時
- 2021/11/04 15:30
- 更新日時
- 2022/01/04 15:49
- 管理番号
- 神戸図-1593
- 質問
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解決
神戸市電は、新在家の辺りで阪神電車の路面電車と相互乗り入れしていたか。
- 回答
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神戸市電は、阪神電鉄が運営していた路面電車・阪神電鉄国道線と「脇浜(敏馬)」で繋がっていた。
- 回答プロセス
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●『神戸市電が走った街今昔:山手と浜手を結ぶ電車定点対比』P.152 脇浜町
「阪神電鉄は昭和2年(1927)阪神国道の27m拡幅・延長に併せて、阪神国道電車(略称、阪国電車)を、わずか6カ月の工事で東神戸ー野田間26kmを開通させた。
阪国電車の神戸側終点が東神戸、脇浜(敏馬 みるめ)に置かれたため、市電としては東部国道線としての連絡ルートを設けることが必要になった。その後の阪神国道の三宮への延伸に合わせて、脇浜二丁目(敏馬)ー三宮駅間に市電軌道を敷設、昭和10年の元旦から東部国道線として運行を始めた。(中略)それぞれの終点が脇浜になったが、花電車だけは唯一例外だった。レールはつながっていたので、毎年秋に行われるみなとの祭りのときは、花電車を楽しみにしている灘・東灘の市民のために、市電を阪国電車に乗り入れて芦屋の打出まで走っていた。」
●『神戸市交通局八十年史』P.51〜 にも敏馬に連絡ルートを設けたとの記載あり。
●『神戸市電・阪神国道線』P.92〜93の運行区間図表(昭和44年12月)によると、阪神電鉄の路面電車である国道線(併用軌道線)には「新在家」という名称の駅はない。鉄道路線には「新在家」駅がある。
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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神戸市交通局八十年史編集委員会 編 , 神戸市. 『神戸市交通局八十年史』. 神戸市交通局, 2001.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000003038944-00 (当館問合せ番号PV:7000044107) -
小林庄三 著 , 小林, 庄三, 1928-.『神戸市電・阪神国道線』. トンボ出版, 1998.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002692718-00 , ISBN 4887161204 (当館問合せ番号PV:6000144340) -
金治勉 著 , 福田静二 編 , 金治, 勉, 1935- , 福田, 静二, 1949-. 『神戸市電が走った街今昔 』: 山手と浜手を結ぶ電車定点対比. JTB, 2001. (JTBキャンブックス)
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000003030158-00 , ISBN 4533039782 (当館問合せ番号PV:7000040480)
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神戸市交通局八十年史編集委員会 編 , 神戸市. 『神戸市交通局八十年史』. 神戸市交通局, 2001.
- キーワード
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- 神戸市電
- 路面電車
- 脇浜
- 敏馬
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000307123