レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2015/3/5
- 登録日時
- 2015/03/05 15:05
- 更新日時
- 2015/03/28 08:21
- 管理番号
- 20090155
- 質問
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解決
昔、最上小国の今の赤倉温泉のところに、翁山に伝わる霊場があって、参拝者が訪れたことが地元に伝わっている。戸沢藩の「村鑑」にも2~3行だが、当時、奥の院まであったとある。そのへんのことについて知りたい。
- 回答
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1 翁山信仰について、資料1『最上町史 下』のP599~600には「かつては山岳信仰の山として栄えたお山であったと伝えられている」とあり、「翁山が賑わった頃、お山でお行たちが米をとぐので、赤倉に流れてくる水は白く濁ってきた」とか「明神には源正坊という翁山の宿坊があった」など今にして語りつがれているが、これも信仰に結びついた伝説の一つといえよう、とあります。
また、資料2『御所山の信仰と伝統』のP52には「この山(翁山)にも山岳信仰の信者たちが登り、参詣した跡を残している。なおここに伝わる伝説などもあきらかに山岳信仰の伝説として残っているものである。翁山に連なる、戸沢山、大穴山を三山と呼び隆盛をきわめた時代があった。その頃麓一帯が宿坊であったという。 (略) 赤倉温泉も参詣者の宿泊で賑いを見せた」とあります。 しかしながら、赤倉のいわゆる「奥の院」については触れられていません。
2 資料3『最上町史 上』のP147には神室信仰に関する記述が記載されており、『新庄領村鑑』には小国郷内の寺院として羽黒派六院、葉山派10院をかがげているが、古代から中世にかけての葉山信仰と同時に神室山信仰も厚かったとあります。
しかし、資料4『神室山・加無山 総合学術調査報告書』のP260によると、小国口からの登拝道3ルート(薬師原、親倉見、窓塞)はいずれも、赤倉からは離れています。
3 資料3『最上町史 上』のP152には、「本節では神室山の信仰と経塚の面から中世の歴史を探ってきた。残念ながらこれらについても、確かな史・資料がないために、伝承に頼ったり、推定にとどまらざるを得ない点が多い。 (略) 少なくとも中世頃からこの地で山岳宗教が栄えていたを物語っているといえる。 (略) 現在の最上町で中世の頃どのような集落が形成され、人々がどのように生活していたかは明らかではないが、少なくとも当時の人びとが厚く宗教を信仰し、 (後略) 」とあります。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 各宗 (188 9版)
- 参考資料
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- 資料①最上町史 下巻/最上町編/1985(K250.8/モガ/2)
- 資料②御所山の信仰と伝説/東根市御所山学術調査会編/1978(K188.59/ヒガ)
- 資料③最上町史 上巻/最上町編/1984(K250.8/モガ/1)
- 資料④神室山・加無山 総合学術調査報告書/山形県総合学術調査会編/1978(K295/ヤマ)
- キーワード
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- 翁山信仰
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000168619