レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 登録日時
- 2014/04/05 17:26
- 更新日時
- 2014/11/25 16:12
- 管理番号
- 市川20131101-02
- 質問
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解決
市川市内に競馬場があったと耳にした。いつ頃、どこにあったのか知りたい。
- 回答
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『市川市史 第3巻』(市川市 1975)p.721によると市川競馬場は昭和7(1932)年10月に
行徳町大洲(当時は東葛飾郡行徳町本行徳字内大洲。現在の市川市大洲)に開設された。
千葉県畜産組合連合会が主催し、会長は歴代県知事が務めた。
『市川市勢総攬』(市川市勢調査会 1934)p.409-410には敷地面積やコースの距離、
売上高等の細かい情報が記載されており、巻頭の地図ではその位置を確認することができる。
より詳細な位置は『船橋 1:25,000地形図 昭和7年要部修正測』(大日本帝国陸地測量部 1932)で確認できる。
『千葉県畜産発達史』(「千葉県畜産発達史」編さん会 1989)p.523によると、
前身は香取郡香取町九美上(クミアゲ、現在の香取市)で香取郡産馬組合(のちの香取郡畜産組合)が
地元の草競馬をもとに大正14年(1925)に開設した、九美上競馬である。
香取郡畜産組合はその後千葉県畜産組合連合会となり、
競馬規則に基づく県下2か所の競馬場を自ら運営すべく九美上競馬の委譲を計画した。
昭和6年6月、東葛飾郡行徳町本行徳に移転が決まり、同年12月に第1回市川競馬が開催されたとあり、
上記の『市川市史 第3巻』、『市川市勢総攬』とは開設の年代に多少のずれがある。
廃止理由については
「九美上競馬の委譲に関した紛争が続き、観覧席の建設も実現せず、
野天競馬の汚名をきたまま昭和13年秋限りで廃止となった」とある。
『千葉県の歴史 通史編近現代2』(千葉県 2006)p.944によると、
「38年の総有料入場者数は40万人近くに達し…人気が高かった」が、
戦争の影響が迫り、39年に軍馬資源保護法が制定され地方競馬が廃止となる前年、
市川競馬もその歴史に幕を閉じたとあり、上記の『千葉県畜産発達史』とは廃止理由の捉え方が若干異なる。
『市川・浦安の昭和史 子らに語りつぐふるさとの歴史,写真集』(千秋社 1995)p.138や、
『市川市勢要覧 昭和11年版』(市川市役所 1937)には、写真も掲載されている。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 相撲.拳闘.競馬 (788)
- 参考資料
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「千葉県畜産発達史」編さん会 編. 千葉県畜産発達史. 千葉県畜産発達史編さん会, 1989.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002039855-00
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「千葉県畜産発達史」編さん会 編. 千葉県畜産発達史. 千葉県畜産発達史編さん会, 1989.
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000151907