レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2023年02月26日
- 登録日時
- 2023/12/07 15:46
- 更新日時
- 2023/12/07 15:46
- 管理番号
- R1005074-147
- 質問
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解決
熊本に朝鮮飴というお菓子がある。加藤清正の朝鮮出兵に持っていったといういわれがあると聞いたが本当か。
- 回答
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●事典・辞典類の記述
・『日本大百科全書 6』 小学館 1985.11 ISBN:4-09-526006-8
*p916「郷土菓子」…熊本県の項に朝鮮飴あり。「天正(1573~92)のころから長生飴の名で作られていた歴史を持つ。」とあり。
・『世界大百科事典 1』 平凡社 2007.9
*p477「飴」の項の中の、求肥飴の説明の中に「熊本のそれは朝鮮あめと呼ばれ、藩主から将軍に献上される例であった。」とある。
・『たべもの起源事典』 岡田哲/編 東京堂出版 2003.1 ISBN:4-490-10616-5
*p292「ちょうせんあめ 朝鮮飴」…別名求肥あめ、長生あめ、肥後あめ
加藤清正が1597年(慶長2年)の蔚山(うるさん)の戦いで兵糧として携帯したという記載がある。また、その後細川家により、将軍家への献上菓子とされたことが書かれている。
・『全国名産大事典』 遠藤元男/編集 日本図書センター 2010.5 ISBN:978-4-284-40135-7
*県別に名産品の解説、由来等を紹介している。p878「菓子」の項に「朝鮮飴」あり。事典類の中ではもっとも詳しい。
天正年間にはすでに作られており、長生飴と呼ばれていた。加藤清正が携帯し、蔚山籠城中に飢えをしのいだ。家臣の甲斐総宗連に製法を管理させ、市販を許さなかった。寛永9年、細川忠利が将軍家への恒例献上菓子とし、公売を禁じた等の記載あり。
・『47都道府県・和菓子/郷土菓子百科』 亀井千歩子/著 丸善出版 2016.1 ISBN:978-4-621-08975-0
*p302「熊本の2大銘菓「朝鮮飴」と「加勢以多」のページに由来、製法等。記載内容はほぼ上記資料と同じ。
●練馬区所蔵の資料で、朝鮮飴について書かれているもの
・『和菓子風土記』(別冊太陽) 鈴木晋一/監修 平凡社 2005.6 ISBN:4-582-92135-3
*各地方の銘菓を写真とともに紹介。p147に「朝鮮飴」。加藤清正の由来と、朝鮮飴の老舗園田屋に伝わる伝承等。
・『和菓子ものがたり』 中山圭子/著 新人物往来社 1993.12 ISBN:4-404-02078-3
*p114~「朝鮮飴」。加藤清正にまつわる由来とともに、日本と朝鮮の間の食の交流についても触れる。朝鮮通信使に供したお菓子の種類等。しかし、朝鮮飴のルーツを朝鮮半島に見る書かれ方はされていない。
・『史料でみる和菓子とくらし』 今村規子/著 淡交社 2022.3 383.81 978-4-473-04492-1
*p93~『菓子話船橋』…1841年に、江戸深川の船橋屋織江により刊行された菓子製法書「菓子話船橋」のあとがきに朝鮮飴が登場、江戸でも菓子好きの間で珍重されていたことがわかるとの記載あり。
※『菓子話船橋』は『近世菓子製法書集成 1 』( 鈴木晋一/編訳注 平凡社 2003.1 ISBN:4-582-80710-0)に収録。p309~「菓子屋船橋」の原文が掲載。p414にあるあとがきに「朝鮮飴、加賀落雁、諸州の名物、国産の属、貯へもたずといふ事なし。」とある。
・『ニッポン全国和菓子の食べある記』 畑主税/著 誠文堂新光社 2017.11 ISBN:978-4-416-51684-3
*p375「朝鮮飴」…加藤清正のいわれとともに、大久保利通が「風味甘味にして、製法成熟の妙あり」と称賛したという記載あり。
●練馬区未所蔵の資料における記載
・『郷土の和菓子』 三田富子/著 淡交社 1980.4
*p134 熊本の項に朝鮮飴が紹介されている。「細川三斎公が朝鮮出兵の折に持ち帰られたもので…」という記載あり。他の本にはない記述。後出の「甲子夜話」に見られる記述から?
・『地域名菓の誕生』 橋爪伸子/著 思文閣出版 2017.11 ISBN:978-4-7842-1900-1
*p109「第三章 地域性の再編成-熊本の朝鮮飴」
現在、園田屋をはじめとする朝鮮飴の老舗が由来とし、一般的に主流とされている、加藤清正が朝鮮出兵の際に携帯したという由緒について、その説の歴史的成り立ちを一次資料を使って解き明かしている。
・朝鮮飴の史料上の初見は、1709(宝永6)年「肥後地誌略」。「土産」の項に「朝鮮飴」が紹介される。それより以前に出てくる唐飴、唐人飴、韓飴も同じものを指す可能性。
・1713(正徳3)年「年中献上来候品覚」→後に幕府への時献上に。
その他のお菓子としては「かせいた」、各種砂糖漬、蜜漬等。造り菓子を献上しているのは熊本のみ。p58に明和2年の時献上の物品リストあり。
・1800年代には他藩への接待菓子として、ならびに御用菓子屋により市中での販売が行われていた。江戸で販売していた記録もあり。
・平戸藩主松浦静山が「甲子夜話」で朝鮮飴の由来について、細川忠興が朝鮮出兵の折に伝えたと書いている。
※『甲子夜話三篇 2』(松浦静山/[著] 平凡社 2008.9 ISBN:978-4-256-80415-5) p159「朝鮮飴について」
・明治以降、内国官業博覧会への出品。明治25年、園田屋による朝鮮飴の来歴に清正公が登場。決して朝鮮より伝えられたものではないことを強調。他の店のパッケージにも加藤清正像がデザインされる。
・材料が白砂糖(洋糖)主流に。機械化、大量生産。日露戦争(1904・明37)の際に、兵糧として採用される。小型化、缶詰製。
・その後昭和に入ると、慰問品として満州へも。
・加藤清正が朝鮮出兵の折に携帯したとされる史料は確認できていない。
また同書では、近世以前、材料の稀少性、幕府への献上品という「売り」だったものが、明治以降に加藤清正の朝鮮出兵由来という由緒に変わっていた経緯について、以下のように推察している。
1 幕府→内国勧業博覧会(=国家・天皇)への権威の移行
2 白砂糖が一般的になったことにより、材料以外に新たな箔付けが必要になったこと
3 献上品としての特性(携帯性、保存性)が、軍隊における兵糧の条件と合致
4 明治以降、富国強兵の国情に合わせて清正像が賢明な領地経営者から、勇壮な英雄へと変わっていったこと
*p121~「朝鮮」という名の由来について
・中国由来(朝鮮という言葉はしばしば中国と同義に使われた)牛皮糕。
・ものめずらしさを表す言葉として(異国風という意味で、唐、南京、南蛮、琉球。阿蘭陀等も)
・本当に朝鮮由来。ようひ、やうひ→羊皮餅。天正8年の茶会記に出された記録あり。材料を見ると、水分の少ない求肥飴と推察される。現在の朝鮮には確認できず。
●文禄・慶長の役(いわゆる朝鮮出兵)関連の資料には、加藤清正が朝鮮飴を携帯したという記載は見つからなかった。
●朝日新聞クロスサーチ
・2006年1月21日 熊本版朝刊「朝鮮飴の老舗・園田屋 文禄・慶長の役を機に愛称」
*園田屋の社長に由来を訊ねる記事。
・2001年6月13日 朝刊「熊本関係部分の記述の誤り指摘 「つくる会」歴史教科書」
*「新しい歴史教科書をつくる会」が主導で編集した中学校の歴史教科書の中で、朝鮮飴の由来が「清正が朝鮮から伝えた」と書かれていることについて、地元関係者が指摘。
・縮刷版の検索結果23件。明治期の新聞広告に「白朝鮮飴」の広告が多数見られ、大阪、東京の製造元の名前が見られる。
また、明治38(1905)年2月21日の東京朝日新聞朝刊に、衆議院の慰問品(海陸軍傷病者へ寄贈)に手拭いと朝鮮飴を選んだという記事あり。
●その他
・清正製菓ホームページ
https://www.kiyomasaseika.jp/product/86/
*朝鮮飴の紹介ページに、「朝鮮飴は今から約千二百~千三百年前、有明不知火海沿岸に流れついた遣唐使が中国での製法を伝えたのが起源とされています。」とあり。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 食品.料理 (596 10版)
- 参考資料
- キーワード
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- 朝鮮飴
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 事実調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000343084