以下の資料を確認しました。佐野氏綱の出自は諸説あることが分かりました。
・『佐野市史 資料編 1(原始・古代・中世)』(佐野市史編さん委員会/編 佐野市 1975)
p.742「校註佐野系図」内に「広綱(阿曽沼祖)別系二」とあり、p.756 別系二「阿曽沼系図」内、「氏綱(日光中禅寺ニ御剣一振ヲ施入ス)」等の記述があります。
・『栃木県史 史料編 中世4』(栃木県史編さん委員会/編 栃木県 1979)
p.540-542「佐野氏阿曽沼系図」に氏綱(p.541)の記載があります。(『続群書類従155』より)
・『田沼町史 第6巻(通史編 上)』(田沼町/編、発行 1985)
「中世 第1章 鎌倉幕府と佐野氏 第1節 鎌倉御家人佐野氏の活躍 1治承・寿永の内乱」に「佐野氏の成立」の項があり、阿曽沼氏は佐野氏から分かれた家系として記述されています。(p.203)
また同章同節の「3 金石資料等による佐野庄の様子」に「太刀」の項があります。(p.228)
「奉納者の佐野氏綱については、阿曽沼四郎広綱の四代目弥二郎氏綱とする説が有力である。」としつつ、氏綱の出自について検証しています。
・『田沼町史 第3巻(資料編 2 原始古代・中世)』(田沼町/編、発行 1984)
「中世編 第4章金石資料 第四節その他 一、太刀」に「佐野氏綱奉納太刀」の項があります。(p.674ー675)
「紀年銘」「法量」等、太刀の基本情報がまとめられており、「彫物」の項には「佐野安房兵衛次郎藤原氏綱」と記載されています。
また、史料上に現れる複数の「佐野氏綱」についても検証しています。
(参考)『佐野氏の系譜と佐野庄』(柳田貞夫/著、発行 1979)
前出『田沼町史 第3巻』解説の出典資料です。
p.99-106「二、 佐野氏系譜の再検討」の「吉水(左衛門)系から上佐野(安房兵衛)系へ」の項で、本文中に氏綱養子説についての記述があります。(p.100)
・『阿曽沼氏年表 1』(浅沼徳久/著、発行 1969)
年表部分に「1276 建治二 阿曽沼次郎氏綱(略)太刀ヲ日光二荒山ニ寄進」とあります。(p.19)
巻頭に「二、阿曽沼氏研究の問題点」の項があり、広綱の出自について著者の説が記されています。(p.2-6)
・『栃本と佐野氏の歴史』(石崎英雄/著、発行 1998)
「12 建武・南北朝の動乱期の佐野一族」に「佐野氏綱について」の項があります。(p.189)
佐野左衛門四郎氏綱について取り上げており、後段では太刀を奉納した阿曽沼系の氏綱とは別人と思われると著者の説が記されています。
以下の資料はお調べしましたが、関連の記述は確認できませんでした。
・『下野国 佐野氏の系譜』(関根徳男/著 思門出版会 2016)
・『下野国佐野阿曽沼内録』(佐野道賢/著、発行 出版年不明)
・『阿曽沼史話』(浅沼徳久/著 浅沼史料文庫 1972)
・『下野国誌 校訂増補』(河野守弘/著,佐藤行哉/校訂 下野新聞社 1989)