レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021年08月26日
- 登録日時
- 2022/01/13 09:54
- 更新日時
- 2023/03/31 18:01
- 管理番号
- 広県図2022015
- 質問
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解決
500年程昔に広島県世羅町の明神山にあった黒川明神山城の城主「金築少輔七郎」の記述がある資料を探している。
なお,初代城主は黒川左衛門である。
- 回答
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参考資料1の『広島県大百科事典 下巻』によれば,世羅郡世羅西町と三次市の境界付近には,「明神山」が3山あると書いてあります。
「金築少輔七郎」は,参考資料によれば,下津田村にある明神山の部分に記載があります。
「黒川左衛門」は,参考資料6の『世羅郡誌』によれば,吉川村にある明神山の部分に記載があります。
参考資料1『広島県大百科事典 下巻』【H03/C62/2ア】
p.634 明神山
「世羅郡世羅西町と三次市の境界付近に同じ名前の明神山が3山ある。最南部のものを黒川の明神山(略)津田の明神山(略)上田の明神山(略)といっている。」
参考文献2『ふるさと 第6集』【H21.72/ツナフ1/V.6ア】
p.74-78 津名公民館保存書類
p.74-77 幕末頃の上津田・下津田・長田のことなど
p.75 明神山金築城
「金築庄七郎、同七郎左衛門 二代
右年代 分明ならず
古蹟志に、下津田村に楠正成の臣 和田何某の旧跡あり。並びに遺物もこれある由云々。」
p.78 明神山城主金築小輔
「下津田明神山の城主金築七郎は、上津田大池原にて戦死したる伝説あり。刀池・首塚などの遺跡、今も残れり。この人物につきての史実なく、戦死の年代も不明なるも上津田稲荷神社の旧記にその名見えたり。(略)」
参考文献3『日本歴史地名大系 35 広島県の地名』【H291/H7321ア】
p.333-360 世羅郡
p.339 上津田村 現世羅西町上津田
「「芸藩通志」によると(略)大池付近に下津田村明神山城主金築七郎の墓と郎等の首塚と伝える塚があると記す。」
p.339 下津田村 現世羅西町下津田
「標高五九三メートルの明神山に津田城とも明神山城とも称した城跡があり、「芸藩通志」に城主は金築七郎、一説に庄野(勝野)七郎ともある。墓は上津田村南部の山中にある字大池付近にあると伝える。」
p.339 稲荷神社 現世羅西町上津田 宮本
「寛永一一年(一六三四)九月の「稲荷日記」(社蔵)によると、下津田の明神山城主金築七郎の家臣中村光重が、大永二年(一五二二)京都の伏見稲荷を勧請し、(略)」
参考文献4『角川日本地名大辞典 34 広島県』【H291/カトカ87ア】
p.795-796 みょうじんやま 明神山<世羅西町>
p.796 「「備後風土記」に「下津田の明神山金築の城跡は庄野七郎の居城の由」とある。」
参考文献5『藝藩通志 巻4』【H291.01/R12c/4ア】※復刻版:底本は 広島図書館 1914年刊
p.1787-1794 藝藩通志巻百八 備後國世羅郡五
p.1790-1792 城墟 宅址戰場附
p.1792 明神山
「下津田村にあり、金築勝七郎所守といふ、一説に、庄野一に勝野七郎に作る、一人なりや、いまだ詳ならず、」
p.1792-1793 墳墓
p.1792-1793 金築七郎墓郎等首塚附
「上津田村大池原にあり、下津田村の故城主なりしといふ、兼築勝七郎ともあり、別人にあらじと見ゆ、首塚は其傍にあり、」
参考文献6『世羅郡誌』【H291.72/Se81bア】※世羅郡教育会 昭和2年刊の復刻
p.457-478 史蹟名勝天然記念物
p.468-471 津名村
p.469 「明神山 下津田にあり金築勝七郎所守といふ一説に庄野(一に勝野)七郎に作る、墓は上津田大池範畔龍ヶ原にあり、(略)」
p.472-474 吉川村
p.472 「明神山 黑川にあり黑川左衛門居、山形富士に似たるを以て小富士と稱す、(略)」
参考文献7『世羅西風土記』【H291.72/セラニ92ア】
p.8 明神山城(昭和四十八年三月二十三日調査)
所在地,時代,郭の形状等の記述があります。
由来には,「城主 金築勝ノ七郎 防州の大内氏攻め入りし時、津田大池付近にて戦い敗れたという。(略)」とあります。
参考文献8『世羅西町誌』【H291.72/セラニ91ア】
p.419-435 歴史年表
p.424 「一四九三 明応二 (略)津田明神山城が築かれたと伝えられる。(城主金築少輔七郎)」
参考文献9『ふるさと明神山にいだかれて:閉町記念誌』【H312.72/セラニ104ア】
p.16-20 世羅西町誕生までの歴史(『世羅西町誌』平成三年発行より引用)
p.16 「一四九三 明応二 (略)津田明神山城が築かれたと伝えられる(城主金築少輔七郎)」
- 回答プロセス
- 事前調査事項
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明神山付近の寺や山口県立文書館には問い合わせたが資料は見つからなかった。
- NDC
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- 日本史 (210 9版)
- 系譜.家史.皇室 (288 9版)
- 参考資料
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1 中国新聞社/編集 , 中国新聞社. 広島県大百科事典 下巻. 中国新聞社, 1982.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I005713812-00 (p.634 明神山) -
2 津名文化財研究会. ふるさと 第6集. 津名文化財研究会, 1997.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I114235573-00 (p.75 明神山金築城,p.78 明神山城主金築小輔) -
3 日本歴史地名大系 35. 平凡社, 1982.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I005629736-00 , ISBN 4582490352 (p.333-360 世羅郡,p.339に関連記述が散見されます。) -
4 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編纂. 角川日本地名大辞典 34 (広島県). 角川書店, 1987.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002010755-00 , ISBN 4040013409 (p.795-796 みょうじんやま 明神山<世羅西町>) -
5 頼杏坪 〔ほか〕編著 , 頼, 杏坪. 芸藩通志 巻4 復刻版. 国書刊行会, 1981.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I082310478-00 (p.1792 明神山,p.1792-1793 金築七郎墓郎等首塚附) -
6 世羅郡教育会 編纂 , 世羅郡教育会 (広島県). 世羅郡誌. 臨川書店, 1985. (広島県郷土誌叢刊)
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001779111-00 , ISBN 4653012644 (p.468-471 津名村(p.469 明神山),p.472-474 吉川村(p.472 明神山)) -
7 世羅西町文化財保護委員会 , 世羅西町文化財保護委員会/編集. 世羅西風土記. 世羅西町小国公民館世羅西郷土研究会, 1992.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I114815914-00 (p.8 明神山城) -
8 世羅西町誌. 世羅西町, 1991.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I077190579-00 (p.419-435 歴史年表(p.424 一四九三の部分)) -
9 世羅西町閉町記念誌編集委員会 , 世羅西町閉町記念誌編集委員会/編集. ふるさと明神山にいだかれて:閉町記念誌. 世羅西町, 2004.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I114249329-00 (p.16-20 世羅西町誕生までの歴史(p.16 一四九三の部分))
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1 中国新聞社/編集 , 中国新聞社. 広島県大百科事典 下巻. 中国新聞社, 1982.
- キーワード
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- 明神山
- 金築少輔七郎
- 明神山城
- 黒川左衛門
- 世羅町
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土 人物
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000310616